2012年05月22日
ナポレオン
唐松で飲み会になった時、持参した「酔翁」が旨いと言われた。
実は色合いからして、この酒てっきり焼酎だと思い込んでいた。
山で飲む場合、度数の高い方が量が少なくて済むから効率的。
一晩なら350mlでいいかと持ってきたのに、
日本酒だからお湯割りにするわけにもいかない。
びっくりすると同時にちょっとがっかりした。
僕の場合、山で選択を迫られたらやっぱり質より量のようだ。
http://www2.ocn.ne.jp/~hirata43
それもあって無線で「酒の寄付」をお願いするはめになったのだが、
書いたように二人がわざわざテントまで持ってきてくれた。
帰りに、その内の一人が空のペットボトルを回収に来てくれた。
既にゴミと一緒にパッキングしてあったから、
「今度中身を入れてお返しするよ」と言ったら「じゃナポレオンね」と言う。
どうやら中身は「下町のナポレオン・いいちこ」だったらしい。
お返しは「下町の」じゃないのがいいと言うので
「慣れないもの飲むと体に悪いから・・・」なんてやりとりで笑った。
ちなみに「ナポレオン」とは、30年から40年貯蔵した
品質の確かなブランデーを指すらしい。
「余の辞書に不可能の文字はない」も有名だが、
一緒に飲んだ連中はまさにそのもの、可能性の塊だった。
誰がそれを磨きあげるのだろう。磨く方も磨かれる方も羨ましい限りだ。
今日は東京で雪山教室の終了式。山岳会の紹介がされるらしい。
良い会、良い先輩、良い仲間との出会いを願う!
実は色合いからして、この酒てっきり焼酎だと思い込んでいた。
山で飲む場合、度数の高い方が量が少なくて済むから効率的。
一晩なら350mlでいいかと持ってきたのに、
日本酒だからお湯割りにするわけにもいかない。
びっくりすると同時にちょっとがっかりした。
僕の場合、山で選択を迫られたらやっぱり質より量のようだ。
http://www2.ocn.ne.jp/~hirata43
それもあって無線で「酒の寄付」をお願いするはめになったのだが、
書いたように二人がわざわざテントまで持ってきてくれた。
帰りに、その内の一人が空のペットボトルを回収に来てくれた。
既にゴミと一緒にパッキングしてあったから、
「今度中身を入れてお返しするよ」と言ったら「じゃナポレオンね」と言う。
どうやら中身は「下町のナポレオン・いいちこ」だったらしい。
お返しは「下町の」じゃないのがいいと言うので
「慣れないもの飲むと体に悪いから・・・」なんてやりとりで笑った。
ちなみに「ナポレオン」とは、30年から40年貯蔵した
品質の確かなブランデーを指すらしい。
「余の辞書に不可能の文字はない」も有名だが、
一緒に飲んだ連中はまさにそのもの、可能性の塊だった。
誰がそれを磨きあげるのだろう。磨く方も磨かれる方も羨ましい限りだ。
今日は東京で雪山教室の終了式。山岳会の紹介がされるらしい。
良い会、良い先輩、良い仲間との出会いを願う!
2012年05月21日
唐松岳の二日
土日の講習会、2695mの唐松岳は8年ぶりだった。
2004年、女房と扇沢から爺ヶ岳を越えて冷池にテン泊。
翌日、鹿島槍から五竜を越えて唐松のテン場に泊まった。
次の日に餓鬼岳から祖母谷温泉に降り、扇沢に戻る予定だったが
悪天に捕まり、八方尾根を下ったのだった。
残雪期の北アルプスは素晴らしい。岩と雪のコントラストだろう。
不帰のキレットなど、起伏があると尚のこと素晴らしい。
実は2日ばかり早く出て、一本バリエーションをと思っていた。
残念ながら触れなかったが、来年の再訪をそのピークで決意した。
我が班の皆さん、全員センスの良い人たちばかり。
どうしてもピストン自体に時間を取られてしまう中、
技術的なことも含めて一生懸命受講してくれた。
そんな気持ちが見えると、ついもう一日あればなんて思ってしまう。
限りある時間はじれったくもあるが、後は彼らの選択だ。
あくまで僕の願いでしかないが、自らの可能性を高めるため
自分に合った素晴らしい山岳会に出会い、ゲットして欲しい。
技術を本能的なものまで高めるには時間が掛かる。
良い経験を積み上げ、高めていって欲しい。
センスがいいのだから、尚更そうでなければもったいない。
共同装備を運んだ講師仲間と「みみずくの湯」に入った。
ここまで来たら長野の山仲間、飲み仲間という「関所」を通りたい。
お代官様も素通りを許しはしまい、とは思うものの
会えば飲みたくなってしまう。後ろ髪を引かれるように帰路についた。
2004年、女房と扇沢から爺ヶ岳を越えて冷池にテン泊。
翌日、鹿島槍から五竜を越えて唐松のテン場に泊まった。
次の日に餓鬼岳から祖母谷温泉に降り、扇沢に戻る予定だったが
悪天に捕まり、八方尾根を下ったのだった。
残雪期の北アルプスは素晴らしい。岩と雪のコントラストだろう。
不帰のキレットなど、起伏があると尚のこと素晴らしい。
実は2日ばかり早く出て、一本バリエーションをと思っていた。
残念ながら触れなかったが、来年の再訪をそのピークで決意した。
我が班の皆さん、全員センスの良い人たちばかり。
どうしてもピストン自体に時間を取られてしまう中、
技術的なことも含めて一生懸命受講してくれた。
そんな気持ちが見えると、ついもう一日あればなんて思ってしまう。
限りある時間はじれったくもあるが、後は彼らの選択だ。
あくまで僕の願いでしかないが、自らの可能性を高めるため
自分に合った素晴らしい山岳会に出会い、ゲットして欲しい。
技術を本能的なものまで高めるには時間が掛かる。
良い経験を積み上げ、高めていって欲しい。
センスがいいのだから、尚更そうでなければもったいない。
共同装備を運んだ講師仲間と「みみずくの湯」に入った。
ここまで来たら長野の山仲間、飲み仲間という「関所」を通りたい。
お代官様も素通りを許しはしまい、とは思うものの
会えば飲みたくなってしまう。後ろ髪を引かれるように帰路についた。
2012年05月20日
土日は唐松へ
昨日から今日にかけて、雪山登山教室だった。
東京都山岳連盟の依頼を受けての「唐松岳登山」だ。
今回で23年度の雪山教室は終了。
その最後を飾るにふさわしい天気に恵まれた。
我が班はSさん、Mさん、Nさん、Tさんの4人。
班ごとに八方尾根を登って行くが、さすがに60人いると圧巻だ。
普通ならヒンシュクものだが、GWも過ぎて登山者もまばら。
それぞれ歩行技術をメインに講習をしながら幕営予定地に到着。
班ごとにテントに入った。
我が班、寄せ鍋をメインディッシュにあっという間に酒が無くなった。
講師に割り当てられた無線で「飲ませて下さい~もう少し
」
と訴えると、奇特な人が2人、わざわざ配達してくれた。
3時半起床。3月に痛めた肩が冷えもあってか痛み、寝られなかった。
女性の受講生Sさんも、いつものことらしいが寝られなかったとか。
まあ目を瞑って横になっているだけで問題はない。
雷鳥が現れ、ガスに包まれた。でも唐松山荘に着くころ晴れてきた。
良かった。是非剣や不帰のキレット、白馬三山を見せてあげたかった。
しっかりピークからの眺望を堪能して下りに掛かった。
テン場への下りは少し傾斜があるので、前向きに歩く訓練を。
テントを撤収し乾かしながら、ロープワークを中心に少し勉強した。
11時、全体で下山開始。全員無事に唐松登山を終えた。
明後日は東京で反省会を行なうらしい。
知りあった人たちとも何かのご縁。参加したいが、ちと遠い。残念!
東京都山岳連盟の依頼を受けての「唐松岳登山」だ。
今回で23年度の雪山教室は終了。
その最後を飾るにふさわしい天気に恵まれた。
我が班はSさん、Mさん、Nさん、Tさんの4人。
班ごとに八方尾根を登って行くが、さすがに60人いると圧巻だ。
普通ならヒンシュクものだが、GWも過ぎて登山者もまばら。
それぞれ歩行技術をメインに講習をしながら幕営予定地に到着。
班ごとにテントに入った。
我が班、寄せ鍋をメインディッシュにあっという間に酒が無くなった。
講師に割り当てられた無線で「飲ませて下さい~もう少し
」と訴えると、奇特な人が2人、わざわざ配達してくれた。
3時半起床。3月に痛めた肩が冷えもあってか痛み、寝られなかった。
女性の受講生Sさんも、いつものことらしいが寝られなかったとか。
まあ目を瞑って横になっているだけで問題はない。
雷鳥が現れ、ガスに包まれた。でも唐松山荘に着くころ晴れてきた。
良かった。是非剣や不帰のキレット、白馬三山を見せてあげたかった。
しっかりピークからの眺望を堪能して下りに掛かった。
テン場への下りは少し傾斜があるので、前向きに歩く訓練を。
テントを撤収し乾かしながら、ロープワークを中心に少し勉強した。
11時、全体で下山開始。全員無事に唐松登山を終えた。
明後日は東京で反省会を行なうらしい。
知りあった人たちとも何かのご縁。参加したいが、ちと遠い。残念!
2012年05月19日
山岳会
僕は結婚したとき、恥ずかしながら1円も持っていなかった。
だから結婚式も会費制で行なったが、たくさんの仲間が集まってくれた。
スト権スト(1975年)そのものの是非は別として、
それは「仲間意識」による大きなうねりであったことは否めない。
その活動家たちが僕の周りに溢れていて、結婚式もそうだった。
僕はその若い時を「仲間」の中に生き、
それを引きずって山に向かっているのかもしれない。
それ故かもしれないが、山岳会にも蔓延する個人主義には
ため息をついてしまう。
新人の面倒を見ない、気の合ったメンバーとだけ山へ行く、
それが高じて合宿ができなくなるなど、どんどん変化している山岳会。
年代のギャップなんて当たり前、僕が若い時だってそれは確かにあった。
でも先輩たちとの間に議論があった。今はそれが足りない気がする。
良いものを残そうというのがなく、よりギャップを感じるのかもしれない。
今、読みたい本が「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿)
昔なら革命が起こっても不思議じゃない状況でも「幸せ」なのだという。
そんなところへ我々の価値観を持ち込んだってうまくいく訳がないし、
組織論を振りかざしたところでそれが正しいとは限らない。
この前の千種アルパインクラブの総会の際、それは反省した。
この社会は「一億総無責任」な「個人主義」と良く言われるが、
登山界も社会状況に規定されるものなら
「なるようになる、なるようにしかならない」というのが「達観」か。
遊びの組織なら尚更かもしれない。
だから結婚式も会費制で行なったが、たくさんの仲間が集まってくれた。
スト権スト(1975年)そのものの是非は別として、
それは「仲間意識」による大きなうねりであったことは否めない。
その活動家たちが僕の周りに溢れていて、結婚式もそうだった。
僕はその若い時を「仲間」の中に生き、
それを引きずって山に向かっているのかもしれない。
それ故かもしれないが、山岳会にも蔓延する個人主義には
ため息をついてしまう。
新人の面倒を見ない、気の合ったメンバーとだけ山へ行く、
それが高じて合宿ができなくなるなど、どんどん変化している山岳会。
年代のギャップなんて当たり前、僕が若い時だってそれは確かにあった。
でも先輩たちとの間に議論があった。今はそれが足りない気がする。
良いものを残そうというのがなく、よりギャップを感じるのかもしれない。
今、読みたい本が「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿)
昔なら革命が起こっても不思議じゃない状況でも「幸せ」なのだという。
そんなところへ我々の価値観を持ち込んだってうまくいく訳がないし、
組織論を振りかざしたところでそれが正しいとは限らない。
この前の千種アルパインクラブの総会の際、それは反省した。
この社会は「一億総無責任」な「個人主義」と良く言われるが、
登山界も社会状況に規定されるものなら
「なるようになる、なるようにしかならない」というのが「達観」か。
遊びの組織なら尚更かもしれない。
2012年05月18日
神奈川で会った人
相武台前の居酒屋「牛若丸」の大将、
お世辞にも牛若丸とは言い難く弁慶そのもの。
そこの豆腐ステーキが絶品だ。刺身なんかも旨くて安いし、
うどの天ぷらなんかもあった。締めにそばを作ってくれたが、
これも最高だった。
その店に着いた時、応援団長のTさんは岩手出身の人と飲んでいて、
その流れで相席することになった。
Tさんはその居酒屋でいつも誰かにいろんなことを相談されるような人。
人望が熱い人だ。耳が悪いから声が大きい。
先祖は海賊だというが、風貌といい全てがそれを彷彿させる。
岩手の人はゴルフに早く出るから、と途中で帰られたが、
さりげなく焼酎一本を残してあった。
そのさりげなさに東北人の思いやりを感じた。
昨日姉宅には姉の親友、Kさんが訪れた。
僕とは8年ぶりだろうか。この人も僕を応援して下さる1人。
懐かしく話し込んだが、帰りのバスがあるので握手をして別れた。
バスに載った時、姉からメールがあった。
「お会いでき、感激です。お元気でご活躍を。ファンより」
姉の携帯を借りてのメッセージに「そのままお返しします」と返事。
お元気そうで何よりだったが、また8年会えないとしたら
その間に何があるかは分からない。
そんなことをちょっぴり思ってのメールだとしたら・・・
そう思ったら何だか胸が苦しくなった。
お世辞にも牛若丸とは言い難く弁慶そのもの。
そこの豆腐ステーキが絶品だ。刺身なんかも旨くて安いし、
うどの天ぷらなんかもあった。締めにそばを作ってくれたが、
これも最高だった。
その店に着いた時、応援団長のTさんは岩手出身の人と飲んでいて、
その流れで相席することになった。
Tさんはその居酒屋でいつも誰かにいろんなことを相談されるような人。
人望が熱い人だ。耳が悪いから声が大きい。
先祖は海賊だというが、風貌といい全てがそれを彷彿させる。
岩手の人はゴルフに早く出るから、と途中で帰られたが、
さりげなく焼酎一本を残してあった。
そのさりげなさに東北人の思いやりを感じた。
昨日姉宅には姉の親友、Kさんが訪れた。
僕とは8年ぶりだろうか。この人も僕を応援して下さる1人。
懐かしく話し込んだが、帰りのバスがあるので握手をして別れた。
バスに載った時、姉からメールがあった。
「お会いでき、感激です。お元気でご活躍を。ファンより」
姉の携帯を借りてのメッセージに「そのままお返しします」と返事。
お元気そうで何よりだったが、また8年会えないとしたら
その間に何があるかは分からない。
そんなことをちょっぴり思ってのメールだとしたら・・・
そう思ったら何だか胸が苦しくなった。
2012年05月17日
東京での二日間
昨日はガイド協会の総会だったが
その前に葛西臨海公園のヒマラヤ協会会長宅にお邪魔した。
ヒマラヤ協会の評議員を打診され、返事を躊躇していたのだが
会長の山森さんにわざわざ手紙を戴いたのを機に
何かお役に立てたら、とお受けするハガキを出したばかり。
山森さんの好きな赤ワインを玄関ノブにでもぶら下げておこうと
アポなしの訪問だったがご在宅で、ビールを出していただいた。
その瞬間、「こりゃ総会に遅刻するな」と直感。
尽きない話を遮るようにお暇したが、案の定40分遅刻した。
総会も無事終わり、参宮橋の居酒屋へ。6時前だったが満員だった。
監事の松島さんに飲み方を教わりながらホッピーで焼酎を飲んだ。
途中で失礼し、相武台前の居酒屋へ移動。
そこの大将と奥さんはいつも僕の山を応援してくれているのだが、
そのお店で神奈川の応援団長への去年の遠征の報告と御礼だ。
11時を過ぎてお客さんもいなくなったので
大将たちにも厨房から出てきてもらってパソコンを開いたのだが
何と準備したメモリーの画像が見られなかった。
別途報告会をする約束をして0時にはお開きに。
それから応援団長宅で一杯だけ付き合って、姉宅へ。
1時過ぎ、布団に入った。
6時には起きて、姉が作ってくれたウドのきんぴらとワラビを食べる。
高山より神奈川の方がいつも山菜料理が多い不思議。
いろんな人と会い、嬉しい二日間だった。
その前に葛西臨海公園のヒマラヤ協会会長宅にお邪魔した。
ヒマラヤ協会の評議員を打診され、返事を躊躇していたのだが
会長の山森さんにわざわざ手紙を戴いたのを機に
何かお役に立てたら、とお受けするハガキを出したばかり。
山森さんの好きな赤ワインを玄関ノブにでもぶら下げておこうと
アポなしの訪問だったがご在宅で、ビールを出していただいた。
その瞬間、「こりゃ総会に遅刻するな」と直感。
尽きない話を遮るようにお暇したが、案の定40分遅刻した。
総会も無事終わり、参宮橋の居酒屋へ。6時前だったが満員だった。
監事の松島さんに飲み方を教わりながらホッピーで焼酎を飲んだ。
途中で失礼し、相武台前の居酒屋へ移動。
そこの大将と奥さんはいつも僕の山を応援してくれているのだが、
そのお店で神奈川の応援団長への去年の遠征の報告と御礼だ。
11時を過ぎてお客さんもいなくなったので
大将たちにも厨房から出てきてもらってパソコンを開いたのだが
何と準備したメモリーの画像が見られなかった。
別途報告会をする約束をして0時にはお開きに。
それから応援団長宅で一杯だけ付き合って、姉宅へ。
1時過ぎ、布団に入った。
6時には起きて、姉が作ってくれたウドのきんぴらとワラビを食べる。
高山より神奈川の方がいつも山菜料理が多い不思議。
いろんな人と会い、嬉しい二日間だった。
2012年05月16日
これから東京へ
昨日、フランス大統領がサルコジさんからオランドさんへ交代した。
国民は「自由と競争」から「平等」へと舵を切った訳だ。
人類にとっての“平等に分かち合う”から、
“リスクを承知で切り開く未来”という重い選択の始まりは、
お金が集団からの解放=個人をつくったことに始まったという。
前に書いた「アテナイ」はその銀の採掘が減ったことで没落するが、
代わって古代ローマが繁栄する。
それは銀の含有率を薄めることで、
大量のコインを生み出したことによるらしい。
これがお金の、価値が変わらないお金への変質の始まりで、
現在世界で一日8兆円が作られていることの原点となっているらしい。
お金の変質という奇跡だ。
こうして人類は架空の富を築くことを可能にし、
発展への欲望を制限するものは無くなったのだという。
都市を作った原動力はお金であり、お金が職業や希望を生み出し、
個人を創り、人間を人間にした。
その「お金」を生み出したギリシャは組閣に失敗し
6月に再選挙だとか。失業率も厳しいまま。
幸い日本の大学生の就職率が93、6パーセントにアップしたとか。
でも非正規雇用は3分の1というひどい話だ。
そして現代の拡大する「格差」、ユーロそのものの危機。
いったいこの先「ユーロ」も世界もどうなるのだろう。
そんなことを思いながらこれから東京へ向かう。
国民は「自由と競争」から「平等」へと舵を切った訳だ。
人類にとっての“平等に分かち合う”から、
“リスクを承知で切り開く未来”という重い選択の始まりは、
お金が集団からの解放=個人をつくったことに始まったという。
前に書いた「アテナイ」はその銀の採掘が減ったことで没落するが、
代わって古代ローマが繁栄する。
それは銀の含有率を薄めることで、
大量のコインを生み出したことによるらしい。
これがお金の、価値が変わらないお金への変質の始まりで、
現在世界で一日8兆円が作られていることの原点となっているらしい。
お金の変質という奇跡だ。
こうして人類は架空の富を築くことを可能にし、
発展への欲望を制限するものは無くなったのだという。
都市を作った原動力はお金であり、お金が職業や希望を生み出し、
個人を創り、人間を人間にした。
その「お金」を生み出したギリシャは組閣に失敗し
6月に再選挙だとか。失業率も厳しいまま。
幸い日本の大学生の就職率が93、6パーセントにアップしたとか。
でも非正規雇用は3分の1というひどい話だ。
そして現代の拡大する「格差」、ユーロそのものの危機。
いったいこの先「ユーロ」も世界もどうなるのだろう。
そんなことを思いながらこれから東京へ向かう。
2012年05月15日
目標
例え山岳会に入っても、実践と理論を追求しない会員には
登山の可能性が拡大しない。
同じことをやっているのが悪いとは言わないが、
変化の無い山登りしかできない。
歳を取ってからならともかく、若いのにそうだとすれば
そんなつまらんことはないと僕は思う。
従ってそれぞれが「何をやりたいのか」と
自分の「想い」を持つことが重要になる。
先日山岳会で講習会をやったとき、それを皆に聞いてみた。
中には「デナリへ行きたい」とか「冬の北鎌尾根」なんて目標もあったが、
概して取ってつけたようなものが多かった。
ただでさえ休みが少なく給料も低い田舎でモチベーションまで低かったら、
それは山に繋がる訳がない。
具体的な目標は具体的な課題を突きつけてくれる。
自分を高める意識性の核、それはやっぱり具体的な目標だろう。
とは思うのだが、一昨日の千種アルパインクラブの総会で
新人2人に聞いたところ、こちらも「これがやりたい」というものが
あまり感じられなかった。
「人に勧められて入った」とか「アルパインが何だか知りたい・・・」
というような動機が意外だった。
たまたまその二人がそうなのか、そんな人が多いのか分からない。
そんな人たちを「止揚」するためにも入会窓口は代表が関わるべき。
今年からそうすることなったが、今度は代表が問われることになる。
登山の可能性が拡大しない。
同じことをやっているのが悪いとは言わないが、
変化の無い山登りしかできない。
歳を取ってからならともかく、若いのにそうだとすれば
そんなつまらんことはないと僕は思う。
従ってそれぞれが「何をやりたいのか」と
自分の「想い」を持つことが重要になる。
先日山岳会で講習会をやったとき、それを皆に聞いてみた。
中には「デナリへ行きたい」とか「冬の北鎌尾根」なんて目標もあったが、
概して取ってつけたようなものが多かった。
ただでさえ休みが少なく給料も低い田舎でモチベーションまで低かったら、
それは山に繋がる訳がない。
具体的な目標は具体的な課題を突きつけてくれる。
自分を高める意識性の核、それはやっぱり具体的な目標だろう。
とは思うのだが、一昨日の千種アルパインクラブの総会で
新人2人に聞いたところ、こちらも「これがやりたい」というものが
あまり感じられなかった。
「人に勧められて入った」とか「アルパインが何だか知りたい・・・」
というような動機が意外だった。
たまたまその二人がそうなのか、そんな人が多いのか分からない。
そんな人たちを「止揚」するためにも入会窓口は代表が関わるべき。
今年からそうすることなったが、今度は代表が問われることになる。
2012年05月14日
名古屋で
昨日は13時から千種アルパインクラブの総会だった。
「アルパインの標榜をやめるか」なんてのがテーマの一つになっていて
「おっ、路線変更か?」と興味新々で出掛けたが
ただの新人勧誘のための方法論に過ぎなかった。
僕が代表を退いてから、現代表で二人目。
若いだけに組織運営がちょっと粗い。口を出さないようにしていたが
とうとう「思いつきでなく、方向性の提示を」
「丁寧な組織運営を」なんて口から出てしまった。
終わってから近くの中華料理屋さんで打ち上げ。
若い会員から「危急時の対応能力」について聞かれ
真面目な話ができた。向上心が手に取るように見えて嬉しかった。
二次会は上前津の居酒屋に7人。
多分最終電車で可児市のK宅へ行き、泊めていただいた。
もちろんそこでも打ち上げビール。
奥さんが早起きじいさんのために朝食を作ってくれ、一人でパクつく。
起きてきたKと、それから3時間また色々と話し込んでしまった。
役職者で再任用の人の、役職が付いていた故の厳しさだとか
自然体の組織運営と組織論を貫徹した組織運営の違い。
結局人は変わらないこと、期待しないこと・・・
間違いないのはいろんな生き方や選択があることと
元気が一番といったところか。
怖い顔をしていつも吠える「ハナ」がようやく頭を撫でさせてくれた。
山をやってる人全部の頭を撫でたい気分で、高山に帰った。
「アルパインの標榜をやめるか」なんてのがテーマの一つになっていて
「おっ、路線変更か?」と興味新々で出掛けたが
ただの新人勧誘のための方法論に過ぎなかった。
僕が代表を退いてから、現代表で二人目。
若いだけに組織運営がちょっと粗い。口を出さないようにしていたが
とうとう「思いつきでなく、方向性の提示を」
「丁寧な組織運営を」なんて口から出てしまった。
終わってから近くの中華料理屋さんで打ち上げ。
若い会員から「危急時の対応能力」について聞かれ
真面目な話ができた。向上心が手に取るように見えて嬉しかった。
二次会は上前津の居酒屋に7人。
多分最終電車で可児市のK宅へ行き、泊めていただいた。
もちろんそこでも打ち上げビール。
奥さんが早起きじいさんのために朝食を作ってくれ、一人でパクつく。
起きてきたKと、それから3時間また色々と話し込んでしまった。
役職者で再任用の人の、役職が付いていた故の厳しさだとか
自然体の組織運営と組織論を貫徹した組織運営の違い。
結局人は変わらないこと、期待しないこと・・・
間違いないのはいろんな生き方や選択があることと
元気が一番といったところか。
怖い顔をしていつも吠える「ハナ」がようやく頭を撫でさせてくれた。
山をやってる人全部の頭を撫でたい気分で、高山に帰った。
2012年05月13日
皮肉にも
山岳会員の“「可能性の喪失」が遭難減少のひとつの要因”
と昨日書いたが、それは山岳会の衰退と相互関係にある。
どの会も決して「衰退」を求めているわけではない。
しかし会の運営者が、即自的な会員の思いを止揚していくことで
常に総合力の向上を追求する姿勢を持たなければ、
当然残された道は現状維持しかなく衰退に向かうのは自明の理。
もともとパフォーマンスの低い多くの中高年の会は
余程しっかりした指導者の元で維持されるか衰退する。そんな
アルピニズムと無縁であることが遭難の減少に結びついている。
片や常に総合力が試されるアルパイン系の山岳会はどうか。
やっぱり現役でなくなるに従って「遭難」から遠ざかって行く。
常に「遭難」と対峙するメンバーを中心とした層が
総合力を高めるための苦闘をしていて、
それゆえその人たちが最も「遭難」に近いというのも皮肉なものだ。
諸外国では困難に向かう人たちが尊敬されるという登山の文化がある。
残念ながらそういう人たちこそ死の近くにいる訳だ。
日本のような遭難死はほぼ有り得ない。
奥穂の事故は、そういう自らを高めようとする人達の事故だった。
所属する山岳会は、力の及ばないところへの挑戦は却下する、
そんな山行管理の厳しい会だ。
今回の事故を教訓化し、より力を高めていく選択を
残された仲間の皆さんに願う。
亡くなった二人も、それを願っていることだろう。
と昨日書いたが、それは山岳会の衰退と相互関係にある。
どの会も決して「衰退」を求めているわけではない。
しかし会の運営者が、即自的な会員の思いを止揚していくことで
常に総合力の向上を追求する姿勢を持たなければ、
当然残された道は現状維持しかなく衰退に向かうのは自明の理。
もともとパフォーマンスの低い多くの中高年の会は
余程しっかりした指導者の元で維持されるか衰退する。そんな
アルピニズムと無縁であることが遭難の減少に結びついている。
片や常に総合力が試されるアルパイン系の山岳会はどうか。
やっぱり現役でなくなるに従って「遭難」から遠ざかって行く。
常に「遭難」と対峙するメンバーを中心とした層が
総合力を高めるための苦闘をしていて、
それゆえその人たちが最も「遭難」に近いというのも皮肉なものだ。
諸外国では困難に向かう人たちが尊敬されるという登山の文化がある。
残念ながらそういう人たちこそ死の近くにいる訳だ。
日本のような遭難死はほぼ有り得ない。
奥穂の事故は、そういう自らを高めようとする人達の事故だった。
所属する山岳会は、力の及ばないところへの挑戦は却下する、
そんな山行管理の厳しい会だ。
今回の事故を教訓化し、より力を高めていく選択を
残された仲間の皆さんに願う。
亡くなった二人も、それを願っていることだろう。
2012年05月12日
「山岳会」の意味
登山が思いもよらぬ悲劇を産むことは誰もが知っているはず。
でもきっと「自分だけは大丈夫」と思うものなのだろう。
気候の急変、思いの他時間が掛かってしまった、道を間違えた・・・
そんな小さなことがどんどん悲劇の入口となっていく。
だからこそ、そうならないための力や危機を脱する力が要る。
その「力」こそ登山者が目指すべき総合力。
それを高めようとせず厳しい自然の懐に入ることは「無謀」なのだ。
しかしヨーロッパと違い、どんな人にもロープウエーや山小屋が
「おいでおいで」と道を開いているのが現実。
誘い水が無ければ力のない人は安易に入れないのだが。
だから遭難というものがその人の自己責任であるはいえ、
それだけでは済まされないものがあると思う。
一方山岳会に入る人の動機はいろいろあるだろうが、
「総合力を高めたい」なんて人はあまり聞いたことがない。
「山へ連れていってもらえる」とか「仲間が欲しい」なんていうのが
圧倒的に多いのだろう。
ではなぜ山岳会に入る人の遭難が少ないのだろうか。
「自らを高めたい」とまでいかなくてもそれなりの向上心はあるだろうし
それなりに山を知ることができる。山岳保険にも入るだろう。
やがて向上心を失ったにせよ、山に行かなくなる、
あるいはその会(仲間)の中で力に見合った山に行くだけとなる。
そんな「可能性の喪失」こそ遭難に繋がりにくいという皮肉。
しかしそれだけでも山岳会の意味はあるのかもしれない。
でもきっと「自分だけは大丈夫」と思うものなのだろう。
気候の急変、思いの他時間が掛かってしまった、道を間違えた・・・
そんな小さなことがどんどん悲劇の入口となっていく。
だからこそ、そうならないための力や危機を脱する力が要る。
その「力」こそ登山者が目指すべき総合力。
それを高めようとせず厳しい自然の懐に入ることは「無謀」なのだ。
しかしヨーロッパと違い、どんな人にもロープウエーや山小屋が
「おいでおいで」と道を開いているのが現実。
誘い水が無ければ力のない人は安易に入れないのだが。
だから遭難というものがその人の自己責任であるはいえ、
それだけでは済まされないものがあると思う。
一方山岳会に入る人の動機はいろいろあるだろうが、
「総合力を高めたい」なんて人はあまり聞いたことがない。
「山へ連れていってもらえる」とか「仲間が欲しい」なんていうのが
圧倒的に多いのだろう。
ではなぜ山岳会に入る人の遭難が少ないのだろうか。
「自らを高めたい」とまでいかなくてもそれなりの向上心はあるだろうし
それなりに山を知ることができる。山岳保険にも入るだろう。
やがて向上心を失ったにせよ、山に行かなくなる、
あるいはその会(仲間)の中で力に見合った山に行くだけとなる。
そんな「可能性の喪失」こそ遭難に繋がりにくいという皮肉。
しかしそれだけでも山岳会の意味はあるのかもしれない。
2012年05月11日
総合力
登山において大切なのは総合力だと良く言われる。
では総合力を高めるというのはどんなことだろうか。
最も環となるものは体力、歩行技術、危急時の対応能力ではないか。
その3つを結んだ線が正三角形になり、
更にその三角形がより大きくなる事が総合力を高めることになる。
山を10時間歩くだけでフルマラソンの倍のエネルギーを消費する。
歩行技術が無ければ遅くなるばかりでなく、危険にも直結する。
対応能力と言っても難しいが、とりあえずビバークできる事が大事だ。
登山には他にもいろんな要素がある。
それを放射線に表して繋いだ時にきれいな円状になるように、
そしてその円そのものをより大きくすることだろうと思う。
言ってみれば自分の苦手な部分を克服する取り組みが
まず大事なことだと言える。しかし、それがなかなか難しい。
だからこそ苦手なわけでもある。
楽しいことは出来ても苦手なことをするのは辛くもあるだろう。
何もプロになるわけでもなく楽しく行ければいいのだから、
そんな意識も邪魔をする。
一般登山者はなかなか山岳会に入らない。
ひとつには「しばり」がいやだという思いが前提にあるのだろう。
人間、勝手にやれるのだったらそんな気楽なことはない。
人間はどこまでも勝手なもの。易きに付くもの。
従って自分を高めるという意識性がそこに問われるわけだ。
それを維持できなくなった時、それは総合力の限界点となる。
では総合力を高めるというのはどんなことだろうか。
最も環となるものは体力、歩行技術、危急時の対応能力ではないか。
その3つを結んだ線が正三角形になり、
更にその三角形がより大きくなる事が総合力を高めることになる。
山を10時間歩くだけでフルマラソンの倍のエネルギーを消費する。
歩行技術が無ければ遅くなるばかりでなく、危険にも直結する。
対応能力と言っても難しいが、とりあえずビバークできる事が大事だ。
登山には他にもいろんな要素がある。
それを放射線に表して繋いだ時にきれいな円状になるように、
そしてその円そのものをより大きくすることだろうと思う。
言ってみれば自分の苦手な部分を克服する取り組みが
まず大事なことだと言える。しかし、それがなかなか難しい。
だからこそ苦手なわけでもある。
楽しいことは出来ても苦手なことをするのは辛くもあるだろう。
何もプロになるわけでもなく楽しく行ければいいのだから、
そんな意識も邪魔をする。
一般登山者はなかなか山岳会に入らない。
ひとつには「しばり」がいやだという思いが前提にあるのだろう。
人間、勝手にやれるのだったらそんな気楽なことはない。
人間はどこまでも勝手なもの。易きに付くもの。
従って自分を高めるという意識性がそこに問われるわけだ。
それを維持できなくなった時、それは総合力の限界点となる。
2012年05月10日
分岐点 その2
昨日分岐点というテーマで記事を書いたが、
奥穂高での事故は「まよい尾根」に入ってしまった結果だった。
正規のルートへの進行方向左にある入り込みやすいルートで、
過去に事故も起きている。彼らの最後の分岐点はそこだった。
荒れた天気だったそうだから、迷い込んだのだろう。
それに加え、彼らはコンテで行動していたようだ。
そこを、もしスタカットで行動していたらどうだっただろうか?
評論するつもりは全くないが、この事故の直接の要因は、
直接的には「まよい尾根」に入り込んだこととコンテニュアスによる、
複合的なものだと言えるだろう。
更にビバークなどでの疲労もあり、
行動体力や判断力、瞬発力なども低下していたのだろう。
このようにして、ほとんどの事故はいくつかの要因によって発生する。
だからそれぞれの要因をより小さなものにする、
あるいは無くすことが肝要だ。と言うのは簡単なのだが・・・。
白馬の事故も残留物からテントなどが見つかった。
何もできなくなる前にどうして、とは誰もが想う。
それが典型的な低体温症だ。
お医者さんのパーティだっただけに、
その知識が活かせないものでしかなかったことが情けない。
知識を知恵とし得るよう、自分自身を含めて
こうした事故にしっかり学ばせていただかなくてはいけない。
くどいようだが、登山は失敗例にこそ学ぶべきものだ。
西穂主稜線(2012.5.5)
奥穂高での事故は「まよい尾根」に入ってしまった結果だった。
正規のルートへの進行方向左にある入り込みやすいルートで、
過去に事故も起きている。彼らの最後の分岐点はそこだった。
荒れた天気だったそうだから、迷い込んだのだろう。
それに加え、彼らはコンテで行動していたようだ。
そこを、もしスタカットで行動していたらどうだっただろうか?
評論するつもりは全くないが、この事故の直接の要因は、
直接的には「まよい尾根」に入り込んだこととコンテニュアスによる、
複合的なものだと言えるだろう。
更にビバークなどでの疲労もあり、
行動体力や判断力、瞬発力なども低下していたのだろう。
このようにして、ほとんどの事故はいくつかの要因によって発生する。
だからそれぞれの要因をより小さなものにする、
あるいは無くすことが肝要だ。と言うのは簡単なのだが・・・。
白馬の事故も残留物からテントなどが見つかった。
何もできなくなる前にどうして、とは誰もが想う。
それが典型的な低体温症だ。
お医者さんのパーティだっただけに、
その知識が活かせないものでしかなかったことが情けない。
知識を知恵とし得るよう、自分自身を含めて
こうした事故にしっかり学ばせていただかなくてはいけない。
くどいようだが、登山は失敗例にこそ学ぶべきものだ。
西穂主稜線(2012.5.5)

2012年05月09日
分岐点
日曜の夜、奥穂高岳の事故の連絡をもらっていた。
月曜、東京へ向かいながらヘリでの救助を祈っていたのだが、
結局二人は助からなかったという連絡が入った。
バスの車窓には若草色がどこまでも優しく広がっていて、
そんな中に二人の悲報。
縁の深いその会では、一昨年Y君がヒマラヤで行方不明となり、
その6年前もS君がアンナプルナで亡くなっている。
ただただ無情の山を想い、車中からお二人のご冥福を祈った。
東京では、3月に谷川岳で重症を負った仲間を横須賀まで
お見舞いに行った。傷跡を見せてもらったが、ひどいものだった。
まだ全然地に足を着けないそうで、ふくらはぎや大腿筋などは
細くなっていたが本人はいたって元気。
1時間ほどお邪魔してから、いつもの原宿での会議に向かった。
谷川の事故は奇跡的に下半身の怪我で済んでいる。
奥穂の件は、あちこちで年配が亡くなった事故とは違って
山行管理も厳しい会の事故。決して力不足だったとも思えない。
いったい何が生死の分岐点だというのだろうか。
会議が終わって、いつもの飲み会に参加せず姉宅へ向かった。
姉は、たまたま脳に動脈流が見つかって再検査待ちの身だ。
破裂したらほとんどは亡くなるらしいが
ほとんどの人はそれを知らないままだという。
知らないままに生を全うする人もいるらしいから、
これもまた生と死の分岐点。人は皆、それを持っているということか。
西穂・独標付近の雷鳥(5月5日)
月曜、東京へ向かいながらヘリでの救助を祈っていたのだが、
結局二人は助からなかったという連絡が入った。
バスの車窓には若草色がどこまでも優しく広がっていて、
そんな中に二人の悲報。
縁の深いその会では、一昨年Y君がヒマラヤで行方不明となり、
その6年前もS君がアンナプルナで亡くなっている。
ただただ無情の山を想い、車中からお二人のご冥福を祈った。
東京では、3月に谷川岳で重症を負った仲間を横須賀まで
お見舞いに行った。傷跡を見せてもらったが、ひどいものだった。
まだ全然地に足を着けないそうで、ふくらはぎや大腿筋などは
細くなっていたが本人はいたって元気。
1時間ほどお邪魔してから、いつもの原宿での会議に向かった。
谷川の事故は奇跡的に下半身の怪我で済んでいる。
奥穂の件は、あちこちで年配が亡くなった事故とは違って
山行管理も厳しい会の事故。決して力不足だったとも思えない。
いったい何が生死の分岐点だというのだろうか。
会議が終わって、いつもの飲み会に参加せず姉宅へ向かった。
姉は、たまたま脳に動脈流が見つかって再検査待ちの身だ。
破裂したらほとんどは亡くなるらしいが
ほとんどの人はそれを知らないままだという。
知らないままに生を全うする人もいるらしいから、
これもまた生と死の分岐点。人は皆、それを持っているということか。
西穂・独標付近の雷鳥(5月5日)

2012年05月08日
連休中に
6日朝、広島の仲間は帰って行った。楽しい時間はいつもあっという間だ。入れ替わりに女房の妹夫婦が寄ってくれた。下呂温泉の下見に先立って来てくれたとか。お昼を大黒屋という蕎麦屋さんにした。広島の皆さんと行くつもりだったところで、なかなか美味しい。台風のような雨風で肌寒いくらいだったから、天ぷら蕎麦にした。
妹夫婦とも話になったが、このGW中、60代、70代の8人が亡くなり、奥穂高岳でも事故があった。我々が西穂山荘に向かうときもアイゼンが全く靴と合っていない年配パーティがいたし、帰りは怖いからお尻をついて降りるパーティも。怖いのは解るが、お尻はカッパだから余計に滑るし、お尻をついていたら軽アイゼンが効きにくい。怖さを克服し、安全に歩けるようになるためのトレーニングを抜きにして冬山に行くというのが無謀。そういう人はガイドを雇う他ないのだ。こうだから遭難は絶対無くならない。いくら啓蒙したってこういう人たちが無くなることもないのだろうが、啓蒙が充分だとは決して言えないだろう。日本山岳協会の遭難対策委員会はこういう事にもっと力を注げないだろうかと思う。また、マスコミなどでは常に「登山歴30年のベテラン・・・」などと書かれているが、問題はその中身。歩けないままの、進歩のない30年の歴史だってあるのだ。それに30年もやっていたら、普通は下り坂まっしぐら状態。一様に展開されるそうした報道や「服はどんなものがいい」などとい
ったピントのずれたコメントを求めるのは、いい加減やめてもらいたいものだ。
妹夫婦とも話になったが、このGW中、60代、70代の8人が亡くなり、奥穂高岳でも事故があった。我々が西穂山荘に向かうときもアイゼンが全く靴と合っていない年配パーティがいたし、帰りは怖いからお尻をついて降りるパーティも。怖いのは解るが、お尻はカッパだから余計に滑るし、お尻をついていたら軽アイゼンが効きにくい。怖さを克服し、安全に歩けるようになるためのトレーニングを抜きにして冬山に行くというのが無謀。そういう人はガイドを雇う他ないのだ。こうだから遭難は絶対無くならない。いくら啓蒙したってこういう人たちが無くなることもないのだろうが、啓蒙が充分だとは決して言えないだろう。日本山岳協会の遭難対策委員会はこういう事にもっと力を注げないだろうかと思う。また、マスコミなどでは常に「登山歴30年のベテラン・・・」などと書かれているが、問題はその中身。歩けないままの、進歩のない30年の歴史だってあるのだ。それに30年もやっていたら、普通は下り坂まっしぐら状態。一様に展開されるそうした報道や「服はどんなものがいい」などとい
ったピントのずれたコメントを求めるのは、いい加減やめてもらいたいものだ。
2012年05月07日
西穂からの下山
山荘からは何人も道を譲ってもらって下るが、
下のロープウエー駅で既に13時を過ぎていた。
治療の予約は14時。高山まで1時間は掛かるから遅刻してしまう。
電話で先生と相談するが、15時に次の患者さんの
予約が入っているとのことで結局キャンセルとなってしまった。
具合悪いMさんには申し訳ないことをした。
皆が15時位には下山するだろうから、
それまでゆっくり温泉治療をしようと中崎温泉に行く。
この温泉は新穂高で一番新しくできた温泉で
内湯が単純アルカリ泉、外湯が硫黄泉となっている。
しっかりしたロッカーがあってその人数分しか入れないから
混雑もないし気持ちいいお勧め温泉だ。
入浴料はちょっと高く800円。(次から使える人数制限なし、
使い回しの100円割引券がもらえる)
皆が降りてきたのは17時半だった。それに合わせてもう一回入る。
二度風呂は初めての体験だった。
「下山したらそのまま広島に帰る」という予定だったが、
疲れているのに夜中の運転はきつい。
山ヤにとって、帰りの運転こそ最大の危険かもしれない。
もう一回飲もうよ、と軽く振っておいたらそんな相談をしてくれた様子で
高山泊まりとなった。早速寿司や餃子・唐揚げを買い込んで家に急ぐ。
疲れもあって23時にはお開きとはなったが、
楽しい3度目の宴会が実現した。
下のロープウエー駅で既に13時を過ぎていた。
治療の予約は14時。高山まで1時間は掛かるから遅刻してしまう。
電話で先生と相談するが、15時に次の患者さんの
予約が入っているとのことで結局キャンセルとなってしまった。
具合悪いMさんには申し訳ないことをした。
皆が15時位には下山するだろうから、
それまでゆっくり温泉治療をしようと中崎温泉に行く。
この温泉は新穂高で一番新しくできた温泉で
内湯が単純アルカリ泉、外湯が硫黄泉となっている。
しっかりしたロッカーがあってその人数分しか入れないから
混雑もないし気持ちいいお勧め温泉だ。
入浴料はちょっと高く800円。(次から使える人数制限なし、
使い回しの100円割引券がもらえる)
皆が降りてきたのは17時半だった。それに合わせてもう一回入る。
二度風呂は初めての体験だった。
「下山したらそのまま広島に帰る」という予定だったが、
疲れているのに夜中の運転はきつい。
山ヤにとって、帰りの運転こそ最大の危険かもしれない。
もう一回飲もうよ、と軽く振っておいたらそんな相談をしてくれた様子で
高山泊まりとなった。早速寿司や餃子・唐揚げを買い込んで家に急ぐ。
疲れもあって23時にはお開きとはなったが、
楽しい3度目の宴会が実現した。
2012年05月06日
連休
4日、5日と更新できなかったが、
広島の5人の仲間と楽しい時間を過ごしていた。
3日が悪いのが分かっていたので4‐5狙いの計画。
3日の夜は我が家で宴会となった。
お土産の美味しいお酒やらワインやら、
手当たり次第に片付けていると日付は既に4日。
4日は西穂山荘まで行こうという計画なので、慌てることはない。
しかし新穂高に行ってみると雨。おまけに二日酔いでぐったりしている
メンバーに腰痛で背中が逆くの字になっているメンバーがいる。
2人を残して穴毛谷を偵察に行こうと話はまとまったが
断続的に雨が続き、結局2人のいる駐車場に戻った。
バス停を利用してここで寝ようとかの案も出たが
温泉に入って、旨い飛騨牛を食べに行くことにする。
超満員の平湯の森(1人500円)、結構気に入ってもらえた様子。
高山へ戻り意気込んで飛騨牛を食べに出かけるが、7組待ちだという。
結局向かいにあった高山ラーメンの店で、2回目の宴会となった。
二日酔いのメンバーもようやくアイスクリームやおにぎりを食べた。
我が家に戻っての宴会も軽目に終了し、明日に備える。
ラストチャンスの5日だ。5時半起床。6時半出発。
腰が悪いメンバーと僕が独標まで、他のメンバーは西穂狙い。
我々は腰の治療の予約に合せ、11時を目処に引き返す計画だ。
しかし独標を目の前に引き返すのも酷な話で
15分遅れで倒着、すぐ下山にかかった。
広島の5人の仲間と楽しい時間を過ごしていた。
3日が悪いのが分かっていたので4‐5狙いの計画。
3日の夜は我が家で宴会となった。
お土産の美味しいお酒やらワインやら、
手当たり次第に片付けていると日付は既に4日。
4日は西穂山荘まで行こうという計画なので、慌てることはない。
しかし新穂高に行ってみると雨。おまけに二日酔いでぐったりしている
メンバーに腰痛で背中が逆くの字になっているメンバーがいる。
2人を残して穴毛谷を偵察に行こうと話はまとまったが
断続的に雨が続き、結局2人のいる駐車場に戻った。
バス停を利用してここで寝ようとかの案も出たが
温泉に入って、旨い飛騨牛を食べに行くことにする。
超満員の平湯の森(1人500円)、結構気に入ってもらえた様子。
高山へ戻り意気込んで飛騨牛を食べに出かけるが、7組待ちだという。
結局向かいにあった高山ラーメンの店で、2回目の宴会となった。
二日酔いのメンバーもようやくアイスクリームやおにぎりを食べた。
我が家に戻っての宴会も軽目に終了し、明日に備える。
ラストチャンスの5日だ。5時半起床。6時半出発。
腰が悪いメンバーと僕が独標まで、他のメンバーは西穂狙い。
我々は腰の治療の予約に合せ、11時を目処に引き返す計画だ。
しかし独標を目の前に引き返すのも酷な話で
15分遅れで倒着、すぐ下山にかかった。
2012年05月03日
「知る」こと
ちょっと前に触れた「ぼくには“常識”がない」(作家・高橋源一郎さん)
には、日本の入学式についてこう書かれていた。
アメリカでは講堂に集合してジュースやチョコレートを食べる。
それはパーティのようなもの。オーストラリアやイギリスでは式はない。
だから式それ自体が「常識」ってわけじゃない。
日本の「式」は子どもたちのためのものではなく、
キョウイクイインカイとかの人のための式なんだ、と。
そして「教育」についての記事をいくつか紹介していた。
尾木ママこと尾木直樹さんは現代思想4月号に
世界の教育と日本との違いについて、
我々がいかに知らないことばかりなのかを書かれているらしい。
桜井智恵子さん(子どもの人権オンブズパースン・もっとも弱い
存在である子どもたちが立ち上がれる手助けをしている)が書かれた
「子どもの声を社会へ」には、国連・子どもの権利委員会が
“厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった
不幸な状態に陥らせている”と日本に勧告したことが書かれているとか。
え~日本が勧告を受けている?ちっとも知らなかった!
尾木さんは「世界」5月号にも「学校を死なせないために」という
対談もされているらしい。
タレントとしてのほんの表面しか知らなかった。
知らないということは日本の現実を知らないという事。
ただ漠然と若者の味方のつもりでしかない自分。
知ることは難しい。
には、日本の入学式についてこう書かれていた。
アメリカでは講堂に集合してジュースやチョコレートを食べる。
それはパーティのようなもの。オーストラリアやイギリスでは式はない。
だから式それ自体が「常識」ってわけじゃない。
日本の「式」は子どもたちのためのものではなく、
キョウイクイインカイとかの人のための式なんだ、と。
そして「教育」についての記事をいくつか紹介していた。
尾木ママこと尾木直樹さんは現代思想4月号に
世界の教育と日本との違いについて、
我々がいかに知らないことばかりなのかを書かれているらしい。
桜井智恵子さん(子どもの人権オンブズパースン・もっとも弱い
存在である子どもたちが立ち上がれる手助けをしている)が書かれた
「子どもの声を社会へ」には、国連・子どもの権利委員会が
“厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった
不幸な状態に陥らせている”と日本に勧告したことが書かれているとか。
え~日本が勧告を受けている?ちっとも知らなかった!
尾木さんは「世界」5月号にも「学校を死なせないために」という
対談もされているらしい。
タレントとしてのほんの表面しか知らなかった。
知らないということは日本の現実を知らないという事。
ただ漠然と若者の味方のつもりでしかない自分。
知ることは難しい。
2012年05月02日
荷上げ
昨日は甥っ子の手伝いで、郡上の〇〇山のてっぺんにある
電波施設に軽油の荷揚げをした。
こちらを8時発、途中手伝ってくれる山岳会のFさんを拾って
郡上に9時過ぎに着いた。
しばらく仕事の元請を待ち、一緒に現場へ。
花見まで痛かった左足首が心配だったがどうやら何ともないようだ。
20リットルのポリタンを2個ザックに詰め、先頭を登って行った。
皆は1個20リットルだからもちろん途中で道を譲り、
それでも何とか登りきった。足は何ともない。
重さから開放されたので体は蝶のように軽い。
1人2個運べば終わりだと思っていたら、
甥は当然もう1回行くものだと思っている様子。
まあいいか、と今度は1個背負って、途中休憩無しで登る。
これで終わりと思うと足取りも軽く、再びさっさと下りた。
え~!何と駐車場にはもう1個残っているではないか。
しょうがない、甥のためならえ~んやこ~ら!
結局4個80リットル運び終えて弁当にありついた。皆の倍働いたが、
“そうか、まだ40㎏背負えるかぁ”と気分は良かった。
〈僕の体のような赤松―これは久々野・高たわ山〉

昔、手術に失敗した右足首だけが悲鳴を上げていたが、
これは最近いじめられていないからウジウジしているだけの話。
腰はいつも山へ行くと治るのは分かっている。
ただただ、左足首が何ともなくて良かった。
しかしあの痛みは何だったのだろう。原因の分からないのが気になる。
電波施設に軽油の荷揚げをした。
こちらを8時発、途中手伝ってくれる山岳会のFさんを拾って
郡上に9時過ぎに着いた。
しばらく仕事の元請を待ち、一緒に現場へ。
花見まで痛かった左足首が心配だったがどうやら何ともないようだ。
20リットルのポリタンを2個ザックに詰め、先頭を登って行った。
皆は1個20リットルだからもちろん途中で道を譲り、
それでも何とか登りきった。足は何ともない。
重さから開放されたので体は蝶のように軽い。
1人2個運べば終わりだと思っていたら、
甥は当然もう1回行くものだと思っている様子。
まあいいか、と今度は1個背負って、途中休憩無しで登る。
これで終わりと思うと足取りも軽く、再びさっさと下りた。
え~!何と駐車場にはもう1個残っているではないか。
しょうがない、甥のためならえ~んやこ~ら!
結局4個80リットル運び終えて弁当にありついた。皆の倍働いたが、
“そうか、まだ40㎏背負えるかぁ”と気分は良かった。
〈僕の体のような赤松―これは久々野・高たわ山〉
昔、手術に失敗した右足首だけが悲鳴を上げていたが、
これは最近いじめられていないからウジウジしているだけの話。
腰はいつも山へ行くと治るのは分かっている。
ただただ、左足首が何ともなくて良かった。
しかしあの痛みは何だったのだろう。原因の分からないのが気になる。
2012年05月01日
原発
「原発のコストが、社会のリスク感によって変化する」
そんな切り口からの「原発からの勇気ある撤退」論があった。
4月26日付朝日新聞「論壇時評」の小熊英二さん。
氏曰く、事故が起きても構わないというのであれば限りなくコストは安く、
人々がリスクに敏感になり、人権意識が高まるほどコストは拡大する。
つまりコストは経済学的なものではなく、社会状態の関数だというのだ。
なるほどそういう切り口があったか、と唸ってしまった。
更にウランの国際価格も同じで、一回でもテロや事故があったら
跳ね上がると続き、もはや原発にはどう考えても将来はないと
「撤退」を主張されていた。
その記事の隣には、作家の高橋源一郎さん。
「ぼくには“常識”がない?」というテーマで
「常識」という「非常識」にとらわれた大人へのメッセージがあった。
やがてこの社会はこどもたちに引き継がれる。
なのにぼくたちの「常識」には「子どもに失礼のないように」という
ことばがないのだと言う。
う~ん、先の小熊英二さんの主張も結局そうだ。
「展望のない事業に更に金をつぎ込む無策」が
「国民の税金や預金で賄われるのは言語道断」というのも
今でさえ希望を持ちにくい社会なのに、更なる負の遺産となるから。
誰しもより良い社会を後世に残してあげたいと願うのに・・・
最初の一滴すら飲めなくなってしまった現実は
我々が作った「失礼」の最たるものだろう。
そんな切り口からの「原発からの勇気ある撤退」論があった。
4月26日付朝日新聞「論壇時評」の小熊英二さん。
氏曰く、事故が起きても構わないというのであれば限りなくコストは安く、
人々がリスクに敏感になり、人権意識が高まるほどコストは拡大する。
つまりコストは経済学的なものではなく、社会状態の関数だというのだ。
なるほどそういう切り口があったか、と唸ってしまった。
更にウランの国際価格も同じで、一回でもテロや事故があったら
跳ね上がると続き、もはや原発にはどう考えても将来はないと
「撤退」を主張されていた。
その記事の隣には、作家の高橋源一郎さん。
「ぼくには“常識”がない?」というテーマで
「常識」という「非常識」にとらわれた大人へのメッセージがあった。
やがてこの社会はこどもたちに引き継がれる。
なのにぼくたちの「常識」には「子どもに失礼のないように」という
ことばがないのだと言う。
う~ん、先の小熊英二さんの主張も結局そうだ。
「展望のない事業に更に金をつぎ込む無策」が
「国民の税金や預金で賄われるのは言語道断」というのも
今でさえ希望を持ちにくい社会なのに、更なる負の遺産となるから。
誰しもより良い社会を後世に残してあげたいと願うのに・・・
最初の一滴すら飲めなくなってしまった現実は
我々が作った「失礼」の最たるものだろう。



