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2015年04月01日

ありがとうございました

平成11年4月26日から始めたブログ、知らぬ間に3年11ヶ月も続
いていました。これまでのべ274,000人、1日平均200人以上の
方に読んでいただいたことになります。

最初の記事を読み返したら、どうやら出発点はローツェ南壁へ一緒
に行った花谷君が、カルヒトナピークからカシンリッジへの縦走を計
画。その意欲的な登山に刺激を受けての、僕の挑戦でした。

人にはいろんな繋がりがあり、それぞれ刺激を受け合って生きてい
ます。そんな中、映画にもなった「岳」の主人公・三歩の「山へ来てく
れてありがとう」という気持ちで、登山者の前を照らすことができたら
と思ったのです。その割に役に立つ山の記事は少なく、くだらん日記
がほとんどではなかったかと、まさに汗顔の至りです。

突然ですが新年度という区切りでブログを一旦中断し、今後山の記
事に特化して再開するのか止めてしまうのか、じっくり考えてみたい
と思います。例え暇つぶしであれ何であれ、読んでいただいた皆さ
んには本当にありがとうございました。

書くという行為は考えること。気になることについては新聞やテレビ
も真剣に見たり読んだりするようになりました。ありがたい事です。
またそれは、文章力や表現力の無さを嫌というほど認識させられる
場でもありました。これもまたありがたい事です。

幸い書きたいことは山ほどありますので、得られた習慣を大切に、
周りを気にせず本当の日記として書き続けていこうと思います。納
得できる山が実現できたら喜びのあまり突然再開するかもしれま
せんが、一先ずお休みします。またお会いできるといいですね。
  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:25Comments(8)

2015年03月31日

DVD

DVDプレーヤー、ダビングができないばかりかDVDも見ることができ
なくなってしまった。どうしようもないので、配線を外して機械そのもの
を兄貴宅に持っていった。兄はTVにデータを流すことができるならD
VDに焼けるようなことを言っていたが、コピーガードがあるからという
ことで結局VHSにダビングしたらしい。

電話でDVDは何ともないような話だったので、じゃあレンタルDVDで
も、とゲオに出かけた。暑くて車の窓を開けたいが花粉がひどい。
年々軽くなっている気はするが、花粉症歴は結構長い。今年初めて
エアコンを使った。

本のコーナーで川村元気の「億男」や又吉直樹の「火花」に目が止
まったが、そのままDVDコーナーへ。ブラビの「フューリー」なんかを
借りた帰りに兄宅へ寄って機械を回収。帰って接続したら、やっぱり
DVDを見ることはできなかった。DVDはパソコンで見るはめに。

その「フューリー」は第二次大戦の連合国対ナチスドイツの戦い。戦
車フューリー号に乗るドン(ブラビ)のチームの友情と戦いが見もの。
それにしても特撮技術がこれだけすごくなったのかと感心するほど、
殺害シーンが生々しい。ブラビのセリフ、「理想は平和だが歴史は残
酷だ」が印象的だった。

デンゼル・ワシントンの「イラコライザー」も面白かった。ホームセン
ターの店員・ロバートは元CIAのエージェント。そんな過去を消したま
ま平和な毎日を過ごしていたが、たまたま喫茶店で知りあった若い
娼婦の夢を支えるためにロシアンマフィアと戦うというストーリー。デ
ンゼル・ワシントン主演の映画は、まず期待を裏切らない。

  

Posted by ラテルネ瀧根 at 08:05Comments(0)

2015年03月30日

続・「寛容」

宗教戦争そして権力者の支配から立ち上がってきた過程で勝ち取ら
れてきた基本的人権の大きさ。それに加えて移民問題も絡むヨーロッ
パ諸国と日本との違いは大きいものがある。

18日の続きになるが、ヴォルテールは宗教的な「寛容論」を、「われ
われはすべて弱さと過ちからつくりあげられているのだ。われわれの
愚行をたがいに許しあおう。われわれはみな脆弱で無定見であり、
不安定と誤謬に陥りやすいからである」と、人間の誤りやすさによっ
て基礎づけたとウィキペディアにあった。信仰の弱さとして捉えられ
ていた「寛容」が、ようやく身近になってきた気がした。これで日本人
も、デモをしたフランス人と共通認識を持つことができるのでは?

「社会の分断を修復したい参加者が多いのだ」と分析していたドラ・
トーザンさんの言っていたことは、自由を守るために声を上げる必要
がある中、しかし「和解」が必要だと思っている人が多いということ。
決してフランス人はイスラムとの決定的な対立を望んではいないとい
う、ホッとするものだった。

なぜ「私はシャルリ」とデモに参加する人があれだけ多いのか。これ
は日本人にはあまり経験の無い価値観で分かりにくいもの。しかし
多神教の日本人こそ、そんないろんな価値観を理解することで世界
の争いを無くしていくための真の貢献ができるのではないだろうか。

僕も安直に使ったりしていた「寛容」だが、言葉というものは歴史に
よってその意味が違うものだと改めて認識。人間は困ったものだと
言うヴォルテールにはごもっともと言うしかないし、よくぞ日本語的
に?基礎づけてくれたものだと思う。

  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:20Comments(0)

2015年03月29日

進む脳科学

兄貴に頼まれて、3日間連続でやっていた立花隆の「臨死体験」(N
HK)を録画した。実は頼まれなくてもそのつもりだった。知の巨人・
立花隆の番組は、気が付けばだいたいそうしている。

初日、録画を示す赤い表示が点いてないので調べたら、「異常」の表
示。途中からの録画になってしまったが、後2日はうまくいった。じゃ
あDVDに焼こうとダビングを始めたら、ダメだった。借りてあったDVD
(24・リブ・アナザー・デイ)も見られない。どうやら機械がいかれてし
まったようだ。もう10年近い、仕方ないか。

心は脳の中でどう生まれ、死んでいくのか、意識とは、自我とは・・・。
現在、脳科学はとんでもない進歩を遂げているらしい。それでも「臨
死体験」について未だに納得できる解説はされていない。

番組の中で一番驚いたのは、生まれてすぐ死にかけた子どもが2歳
になった頃、突然「僕は死んだんだよ」と言い始めた話。これにはおま
けがあって、その時の手術室の様子を的確に言い当てたり「その時
〇〇さんという人がずっと付いていてくれた」のだと言う。その〇〇さ
んとは10年以上前に亡くなったおばあちゃんの名だった。

親はおばあちゃんの話をしたこともなく、もちろん病気で死にかけた
ことも我が子に話してないという。それが本当なら一体どういうことな
のだろう。意識が肉体を離れて見ていたというしかない。

昨夜もモーガン・フリーマンが司会で、同じような番組をやっていた。
今やニューロンを培養して「意識」を生み出すよことまで実験されて
いるらしい。「意識」が作れるなら肉体は仮の姿に過ぎなくなってしま
い、死後にも「自分」という意識は残るのかもしれない。


  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:55Comments(0)

2015年03月28日

酒の味

美味しい国産ウイスキーづくりを目指したマッサンの最終章。エリー
はマッサンに見守られながら旅立ち、朝ドラ「マッサン」は終わった。
エリーの昭和、「人生は冒険旅行」には泣かされた。

マッサンがいつもグラスを揺らして香りを確かめ、口にするテイステ
ィングに憧れた男性も多いのではないだろうか。実は僕も、そんなふ
うに味が分かるようになりたいと思っていた。

そうは言っても、自分はようやく好きな日本酒を見つけることができ
た程度。シーバスリーガルやウイスキーのお湯割りが美味しいとか
は思うが、味が分かるわけではない。ワインに至ってはさっぱり分
からないし、それでも普通に酔えるのが情けなくもある。

一体これまでの半世紀近く、自分はどんな飲み方をしてきたのだろ
う。ただ酔うために飲んできたのだろうか。

ところが先日、1/3ほど残っていた「余市」15年をストレートで飲ん
だ時のこと。口に広がるフレーバーも含めて「旨い」と思った。それ
までの2/3は外で飲んで帰ってから口にした分。

酔ってから飲んでは味が分からないということなのだろうし、やっぱ
り値の張るものは旨いということなのだろうか。何にしても、初めて
ウイスキーの味が分かったような気がして嬉しかった。

ようやくオレも酒とウイスキーの味が分かってきたのかな・・・。良く
考えたら、ビールは本物より「のどごし生」の方がいいというのが正
直なところ。グビグビやっている内にホップの味がすっかり苦手に
なってしまった。ラガー党だった20年の歴史は何だったんだろうと
思ってしまう。いやぁ、やっぱり味音痴なのかな。
  

Posted by ラテルネ瀧根 at 11:17Comments(0)

2015年03月27日

「疫病神」シリーズ

「螻蛄」(ケラ)をパッと読める人はあまりいないのではないだろうか。
一文無しを「おけら」なんて言う、そのケラは地中生活をする昆虫の
総称のようだ。

黒川博行の「疫病神シリーズ」の4作目がこの「螻蛄」。それまでの作
品が「疫病神」「国境」「暗礁」、そしてこの「螻蛄」の次(最後)が「破
門」なのだが、作品の内容と題名との繋がりが一番分かりにくかった
のが、これだった。

これは「宗教法人」という檀家の上にアグラをかいた巨大権力をテー
マにしたもの。別の本も(疫病神シリーズに限ってかもしれない)全て
警察権力だとか一流企業だとかいう、力や権力がテーマとなってい
て、それに立ち向かう「個」のヤクザ・桑原と、必ずしも「善良」とは言
えない一般市民・二宮が主人公となっている。

宗教、特に最近ではISやオウムが顕著だが、地中生活をする「螻
蛄」のような、見えないところでのうごめきというのか、そんな意味で
題名に取り上げられたのかもしれない。シリーズを通して、黒川作
品には「反権力」的な匂いがする。

一昨日シリーズを読み終わったが、「・・・一人ごちた」とか、「それは
言わない。言えば殴られる」なんていうフレーズをついつい使いたく
なってしまうのは、このシリーズに引きずり込まれてしまった結果な
のだろうと思う。

憎めない桑原と二宮、そして奥に見え隠れする桑原の親分・嶋田。
そんな中に、男の本当のカッコ良さや生き方を考えさせる作品でも
あった。黒川さんは多分「嶋田」のような人なのだろう。
  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:18Comments(0)

2015年03月26日

持ち越しもまた良し

昨日は群馬の豊さんに石楠花尾根を誘ってもらっていた。その誘いが
あったのは先週土曜、このきのこの上で寝る直前。

〈下のきのこにテントの跡が〉

「今、きのこの上だよ。水曜は楽しみにしてるから・・・」と返信して寝た
ら、翌朝になって「いいとこで寝てるね、宴会は無しかい?」と入ってい
るのに気づいた。

宴会まではいかないが、その晩は焼酎のお湯割りもウイスキーのお
湯割りもそれなりに飲んで、ひたすらテントがひしゃげる強風に耐えて
いた。テントと言ってもドーム型のツェルトで、結露しないように換気口
が広い。そこから風も入ってくるから大変だった。

きのこが揺れているような感じもあって、崩落も想像した。相棒のM君
にも話したが、昔荒沢尾根を1人で登った時、3歩の足跡を残してきれ
いさっぱり崩落した経験がある。「死はすぐ隣にある」のを実感した瞬
間だった。

今さら返信も遅いが、「いやはや大変だったよ」なんてメールしたら「そ
れは羨ましい」なんて返ってきそうだ。結局帰りの車から電話したのだ
が、谷川も天気次第だねということになった。

その谷川、水曜の朝まで雪が降って結構積もったようだ。火曜に出発
しないと間に合わないから気をもんでいたが、火曜の早い内に断念す
ることになった。足首もまだ腫れていることだし、ま、いいか。その晩は
足首を思う存分、気の済むまで湯に浸けた。

多分27日で谷川は登れなくなるから、今シーズンの課題はまたお預
けになってしまった。それもまた良しとしよう。課題があるほど張り合い
があるというもんだ。



  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:38Comments(0)

2015年03月25日

止められぬわけ

危険を乗り越えて何かを実現することは面白い。冒険心が満たされ
るということなのだろう。それを支えるのは「気持ち」だったり「技術」で
あったりする。そんな意味では自分の気持ちの強さを褒めてやること
ができたり、身につけてきた努力に納得できたり、はたまた感謝でき
たりすることが、その「満たされる」ことを陰で支えているのだろう。

小さい子がうんていやジャングルジムで遊べるようになると、どんど
ん動き方を覚えていく。親の前で得意満面だったりもするが、いつし
かそれは当たり前のこととして次の「動き」を追い求め、それに伴って
身体も発達していく。子どもの身体を動かす遊びや冒険心は本能だ
し、人生で一番大切な、楽しい時間なのだろうと思う。

きのこ雪の突破は面白い。それは多分単純に障害物競争の「競争」
を省いたようなもの。だから小さい子の本能的な、身体を動かす喜
び=遊びに近いのではないだろうか。その遊びにも必ずチャレンジが
あるから、やっぱり遊びと冒険は似たものがある。

次から次へと続くきのこ雪は遊び心を満たしてくれる。一つひとつ、
「危険」とのせめぎあい。これも講習会ではあり得ない、生のゲーム
のようなものだ。そこに判断があり、決断がある。


「生き抜くことは冒険だよ」と誰かが言った。そうだとするなら冒険と
は生きること。遊びも生きること。「面白かった」と思えるのは生きて
いるから。生きるための判断や決断を求められるところに、生きる
実感が得られる部分があるのかもしれない。

ご来光などの「感動」とは違う内面的な喜び、それが見つけられるか
らこそ、山は止められない。
  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:13Comments(0)

2015年03月24日

何がいいのか

夕方のデブリだらけの沢筋の下降。日射でたっぷり水分を含んだ雪
が落ちてこないという保証は全くないが、昼間のキノコだらけの斜面
のトラバースよりは遥かに気が楽だ。

〈デブリだらけの沢筋〉

辛いのはその下降、足首を酷使する。ずぼったりしながら先行してく
れるM君に感謝しながら進むが、なかなかついていけない。途中出
てきた下からの踏み跡にホッとしたのも束の間。それを辿るためには
どうしても内股にせざるを得ない。雪が柔らかければいいが、既に固
く締まっているからそれを強制される。僕の右足首はガニ股、外傾し
たまま固まっているから、それが辛い・・・。

一昨日は、珍しく温泉に入らず帰ってきた。元さんの家の近くの「みみ
ずくの湯」を始め、白馬から大町にかけては温泉がいくつかある。大
好きな「葛温泉」、松本から上高地の間の「坂巻温泉」にも目をくれな
かったのは、その右足首のせいだった。

毎回悪い癖だとは分かっていても、弱点の右足首を入念にアイシン
グしないまま風呂に浸かって腫らしてしまう。山が終わりさえすれば、
とついいい加減になってしまうのだ。家に着く頃は松葉杖が要るくら
いになってしまって毎回「あらあら」と言われてしまう。

「家で足首に冷水をシャワーしたまま湯船に浸かろう」・・・ただその
一念で帰ったお陰で、車から荷物を降ろし片付けることまでできた。
そしてとても人には見せられない不細工な格好で入浴。

旨いものや金塊がそこにあるわけでなく、常に寒い・辛い・寝られな
い・危険といった中にある登山。それに加え、最後には必ず痛さを
伴うそれの、何がいいのだろうと改めて笑ってしまう。

  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:14Comments(0)

2015年03月23日

だから止められない

昨日は朝8時頃だったろうか、公民館の向かいに置いた車に辿り着
いた。車上狙いの被害にも遭っておらず、一安心。

M君には完登できず申し訳ない気持ちもあったが、むしろ悪絶な雪と
格闘し、楽しかったという感謝の気持ちで握手した。風呂-蕎麦コース
のM君と別れ、鬼無里の方から白馬に向かった。

実際、最後の登りを「3回目の瀧根さんに」と任されてトライしたもの
の最終コルへのトラバースを済ませたところで妙にスッキリと断念。
「止めようか」と言ったのは僕だった。臆したわけでは決してないが、
お腹いっぱいという久しぶりの気持ちだった。頂稜から下山する山な
ら、間違いなく進んでいた。降りるなら、早い方がいい。

昨日も書いたが、たかだか1000mの標高差なのになぜこれだけ大
変な山なのか。普通に歩けば3時間。だからこそ面白い。


今回の失敗はソフトシェルからの靴下-靴の濡れ。土曜日にカッパを
履く面倒を省いた結果がこれだった。気温が高かったから濡れるの
は当たり前。お腹に入れて寝た手袋・靴下が朝になって乾ききってい
なかったのは初めてだった。その代わりと言っては何だが、渡渉の楽
なこと。躊躇せずジャブジャブ進める。

途中で見た戸隠連峰は、縦走にも来いよと誘ってくれていた。

白馬への最後のトンネルを抜けた途端に見えたアルプスは白く、高
く、それに春霞が掛かっていた。これだから山は止められない。戸隠
にも後立山にも行かなくちゃ・・・。

仕事で忙しいだろうと電話したACTの元さんが、たまたま空いている
とのこと。お宅にお邪魔し、高山には4時頃帰着。
  

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:31Comments(0)