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2013年07月12日

ジャック・ラカン

息子と飲んでいて、「鏡像」から生まれる自己認識の話になった。

フランスの精神科医でもあるジャック・ラカンの理論によれば
人間は「鏡像」を見て自己を認識していく。鏡に映るという、ある意味
他者から生まれる自己像を見出す。そして言語の媒介・介入によって
新たな段階に移っていくのだという。

例えば「幸せ」は自分が考えるのではなく、「幸せ」という言葉を知る
ことでそれを欲しがるようになる。言語に規定されているのだと。

またその「幸せ」という言語は、人にとって抽象的なものでしかなく、
その全てを理解できるものではない。「言語は現実を語れない」
のだという。ゆえに人はより的確な言葉を探したり、より多くの言葉を
重ねることで現実に近いものを描き出そうと奮闘する。

なる程と思ったり全然理解出来なかったりするが、先日観た映画、
モンテ・ワイルドホーンの言葉や文章に惹きつけられたのは、
自分との対比で、より素晴らしい表現があったからに違いない。

自我を確立するためには他者が必要だが、決してそこで真の自己と
出会えるわけではなく、人は常に「出会い損ねている存在であり
人間の根源的な空虚さがそこに見いだせるのだという。

「常に出会い損ねている存在」か。う~ん、なる程と思ってしまう。

本当の何か、を知らないままの存在。愛だってそうかもしれない。
なんて考えたら、真田広之がゲイを演ずる「最終目的地」のオマーが
「出会い損ね」ていたアーデンと会ったのを思い出した。

人が常に未完成であることは言うまでもないが、空虚を見出しても
見出さなくても、希望があれば生きていける。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 05:42│Comments(0)
 
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