アンナあとがき 困難
歳をとると否応なしに仲間が減っていくものだが、仲間を求めて
入った山岳会でも、休暇によっては仲間が確保されない場合もある。
僕も平日の休暇が多かったから、あちこち単独で出掛けた。それは
アルパインの真髄「困難を求める」登山が、より困難になるのを意味する。
確かに、時には進退極まったりして技術的なレベルや精神力・決断力など
本当の自分が問われる場面が多かった。そんな意味で己を鍛える
事が出来たし、山への関わりにおける主体性を身につける事ができた。
そしてそんな岩登り、冬山、そして冬壁は、例え失敗に終わっても
その世界に存在していただけで満足で、僕は家へ帰って、
いかに困難だったかを嬉しそうに喋っていた気がする。
なに一つ出来なかった自分が今、自分の意思で困難に向かっている。
小西政嗣の世界に近づいた気がして何か自信がついてきた。
僕はもともと、器械体操以外何一つ頑張ったことのない
本質的に自信のない男だったのだ。
きっと「困難」を求める行為は、一生懸命生きたい願望から沸いてくる。
それまでただ漠然と生きてきた自分が、生まれて初めて
自分を誉めてやれる「生き方」だったのだと思う。
満たされ、自分から誉められる心地よさ。
そんな時、僕は全てを許す事ができるような気がした。
だからなのだろう、そんな世界に触れた後は必ず穏やかでやさしい
自分を発見する事ができた。僕はやさしくなる自分が好きだったし、
ひょっとしたらこんな「山」を積み重ねていくうちに、少しは
穏やかで寛容な人間になれるのかもしれない、と思い始めた。