アンナあとがき 本能

ラテルネ瀧根

2013年06月07日 05:48

9月26日、C3を目指してダッチリブに取り付いた僕とNは、
前日に佐藤とシェルパが伸ばした終了点から、躊躇する事なく
トラバース気味に右上するルートを採った。傾斜約70度。
ヒマラヤ襞の間はボブスレーのルートのようになっていて、
滑落すれば300~400m位はそのルートを強制されそうだ。

Nから「ロープがうまく出ず、キンクした」と無線が入る。
短いが何とかピッチを切り、アンカーを作る。ロープを引くと、
キンクしたロープの固まりとともにNが登ってきた。

そこからは傾斜が強まり、約80度ある。凍っていればともかく、
「モナカ雪に砂糖をかけた」ようで悪く、入れ替わってリードしたNが
何回かトライするがとうとう諦めた。

バトンタッチしてそこを何とか突破すると、今度はクレパス帯となった。
乗っ越すとき足下が崩れたが、かろうじてスノーバーとピッケル、
そして左足の微妙な支持力で持ちこたえた。だましだましの登行。

緊張の連続と高所ゆえの乾燥によって喉はカラカラで、
ただただ、前に進む本能しかそこには無い。
全く真っ白な「無」の世界。そんな登攀が続き、
やがて紺碧の空が視界を占めるようになって、
僕はリッジ上に立った。喉からは、もう声も出ない。

帰国して少し落ち着いたある晩、いつものように晩酌しながら
そんな話をしていたところ、女房はこう言ってくれた。
「たった一つでもそんなクライミングができて良かったと思う」
困難を嬉しそうに喋っていた、昔のあの頃を思い出したように。

〈アンナ全景とダッチリブ(中央下)〉

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