アンナあとがき 問いかけ
女房に初めて反対された山だった。当時、結婚して22年。
初めて僕のやることに反対した彼女の本心はただ一つ、
自分のための「山」をやって欲しいという思いだった。
「来年の山のトレーニングになる」とか「岳連への恩返し」
「登攀隊長の経験は大事な勉強」、「もうあとに引けない」
だだっ子のように行く事を決めていた僕も、それは分かっていた。
立ちはだかるものを乗り越えてまで、なぜ人は困難を求めるのだろうか。
緊張感を持って、ただ高みを目指してジリジリ攀じる事ほど
集中できるものは無く、それは僕にとって至福の時でもある。
困難を求めそしてただ前に進む「本能」とはいったい何なのだろう。
男の闘争心だろうか、征服欲だろうか。確かに僕は格闘技が
大好きだし、征服欲だってあるのだろう。
そんな人間の「原点」の部分にクライミングというものが共鳴し、
おもしろいのかもしれない。だけど、ただおもしろいだけではない何か、
本質的なものがそこにはある。
思えばK2に登頂した時、僕は穏やかで感謝の気持ちで一杯だった。
そんな「素」の僕の中にこれまでで最も人間らしい自分を感じ、
一生懸命「生きる」事は人間らしくなる事なのだと思った。
そして渇望しているものがそこにあるような気がした。その意味で、
僕のクライミングの本質は「人間らしさ」を求めるものなのだろうか。
結局2000年のアンナ遠征も、その問いかけに答えを出せなかった。
女房はこう言った。「お父さんは不完全燃焼が続く限り、
パーフェクトなものを求めてまた山へ行くんじゃないの?」
〈ひっそりと咲くブルーポピー〉