アンナあとがき チャレンジャー
遠征までの話し合った1年半、ぶつかったりすれちがったりして
家へ帰るのがいやになったり、時には声を荒げたりもした。
そんな意味で本当に難産の末の遠征だった。
もともと「山」なんて、余裕がなければやってられない世界。僕の子供に
重度の障害があったら、とか女房に理解がなかったらなどと思うと、
幸せな家庭環境や、行かせてもらった職場環境にただただ感謝するばかり。
考えて見ればそんな「幸せ」の中で、僕だけがいつやばい状況に陥るか
分からないという不確定要素をかかえている。
いつだったか息子が赤点を取ったとき、「しっかりせな、父さんぐれるぞ」
と茶化したら、「もうとっくにぐれとるが」と笑った息子や娘が、
さすがにそれ以上ぐれてもらっては困ると思ったのか、前を向いて
進んでくれている。そんな年令の頃、とても前を向けなかった自分が
今、そんな家族に支えられて極道をやっているのだから
家族にソッポを向かれた日には足を洗わざるを得ない。
それがイヤだからと言うわけでもないが、アンナプルナを振り返ったとき
見つめざるを得なかったのは、「待つ者」;女房そして子供の事だった。
石川隊長のもとで光栄にも登攀隊長を努めさせていただいたわけだが、
それは頼りなかった事にちがいない。そんな僕に皆、よくついてきてくれた。
トレーニングの段階から最後まで、皆頑張ってくれた事を生涯忘れない。
全てがすばらしい経験だった。いくつもの感動があった。
最後に見上げたアンナプルナの頂上は遠く、厳しかった。
そして脳裏に焼きついて離れない。そして
生きて帰って来る事が出来たからこそ、我々は又チャレンジャーになれる。
〈前を向いて進もう〉