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2013年07月06日

「ヒマラヤ 運命の山」

この前、ウクライナ人など少なくとも10人の外国人登山隊が
タリバンに殺害されたナンガ・パルバートは、鉄人メスナーが
1970年に初めて登った8000m峰としても有名な山。

メスナーはこの山で多くの指と同行した弟を失っている。
そこでの弟の遭難死について、その原因を作ったのではないかという
疑いをかけられ非難を受けていたらしい。

昨日は清見で息子に懸垂下降を教えて帰り、そのメスナーが制作に
全面協力したという「ヒマラヤ運命の山」(2009年)のDVDを観た。

メスナーの口添えで弟・ギュンターの遠征参加が決まり出発する時、
母親がメスナーに言う。「ギュンターを必ず連れて帰って」
そんなところにも「待つもの」母の想いが散りばめられていた。
きっと今日のメスナーが、どうしても入れたかったものなのだろう。

ヘルリヒコッファー博士率いる遠征隊だが博士は命令・規律を重んじる。
博士に従順な登山家グループと全く違うメスナーとの確執も含め、
高峰登山の実態が良く分かるものになっていた。

結局「成果」を重視したい隊長は、退却させる状況の中メスナーの
単独アタックを認める。弟は下降用のサポートに廻るが
兄を追いかけ、2人は登頂に成功。しかしその下降はFIXロープも無く
壮絶なものとなった。それはまるでアンデス・グランデ峰を舞台とした
「運命を分けたザイル」を彷彿させる。

博士は2人が死んだものと思いBCを撤収。その途中、全く別ルート
から生還した瀕死のメスナーと合流した。

メスナーの、母と弟への想いが良く分かる映画だった。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:35│Comments(0)
 
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