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2013年11月01日

サムライ・国岡に思う

国岡鐵造の周りには常に素晴らしい男たちが集まった。特に国岡商店
が潰れたら「一緒に乞食をやろう」と屋敷を売ってまで全面的に支援
する日田重太郎の存在は、生涯国岡の精神的な支柱だった。

やっぱり類は類を呼び友は友を呼ぶということか。仲間に恵まれない
とすれば、それは自分という人間がそれだけのものなのだろう。

もう一人、最初の奥さん「ユキ」は跡継ぎが授からぬことを理由に自ら
国岡から離れ、しかし死ぬまで国岡を想い続けたのだった。そんな2人
ともやがて別れる日が訪れ、そして昭和54年イラン革命が起こった。

それによってイランの石油を支配していた米英の石油メジャー(8つの
頭を持つ怪物と言われた機構)の命脈も尽き、国岡の正義は復活する。

数日前に書いた「イーグル・アイ」にも似たイランでのCIAの活動、
無人偵察機プレデターによる情報戦をドラマの中心に据えた「ワールド
オブライズ」のような映画もあるが、本当に人間の「欲」は限りなく、
利権のために生み出された戦争がどれだけあるのだろう。

国岡は二人の死とその革命に、アメリカに対するイランの憎しみは
永遠に消えないという事と、何でも永遠に続くものはなく、従ってこの
国岡商店が消え去る日もくるかもしれない。しかし日本人がいる限り
人間尊重の精神は消えることはない、という2つのことを思う。そして
その二年後、人のためという信念に貫かれた国岡も95歳で亡くる。

思えば人に惚れて、その人のため命懸けで仕事をするような人生は
僕には無かった。一度でもそんな仕事がしてみたかった。

そんな人に出会わなかったのも、それだけの自分だったという事。
大きな人に感動して泣くという、小さな自分を見つめる時間だった。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:49│Comments(0)
 
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