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2013年12月23日

1964東京オリンピック

確かにあの頃は、子供心にも何となく高揚感があったのだろう。

お袋が「お前どうする?東京行く?」と聞いてくれたとき躊躇する
ことなく「行く!」と言ったのは、親父とおふくろが少しでも生活を楽に
しようと上高地・明神にあった「山荘吉城屋」の雇われ支配人として
仕事を始めるのに協力したいと思った訳では決してない。
その時両親は、僕の気持ちでその仕事を最終決定しようとしていた。

東京へ行きたい、そんな思いが本当に強かった。特に高山での生活
が面白くなくてというのではないが、そこには夢があるような気がした。
両親と離れて生活することなんかはどうでも良かったし、東京に接する
ことができる最大のチャンスであることだけは間違いなかった。

僕の新しい生活の拠点、幡ヶ谷は下町だったから「オリンピックの
身代金」に出てくるような建設現場を目の当たりにすることは無かった
が、高速道路や新幹線、ビル建設のラッシュはやっぱり誇らしく、
嬉しいものだった。休日にはおにぎりだけ持って明治神宮や新宿御苑
に連れて行ってもらい、たまには小田急百貨店でハンバーグランチ
なんかを食べさせてもらうこともあった。高山にいたら、まず口にも
入らなかっただろう。そのころ義兄が部下の若い人を連れてきたり
すると、僕を預かってくれていた姉は必ず天ぷらでもてなしていた。
それは最も安上がりでボリユームもあったからだと後に聞いた。

サッポロジャイアンツと天ぷらは不意のお客の、もてなしの定番
だった。当時ギリギリの生活ではあったのだろうけど、それでも僕は
間違いなく東京の景気の良さを享受していた。そして僕は本当に
東京に出てきて良かったと思っていた。



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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:22│Comments(0)
 
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