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2014年01月08日

「光圀伝」

正月用に、と思っていた「光圀伝」を、昨日ようやく読み終った。

正老病死という人の常、その中でどう生きるべきか。そういったもの
が突きつけられる作品だった。去年の暮れから昨日にかけて、正月
だというのに毎日泣かされてしまった。「海賊と呼ばれた男」だの「オ
リンピックの身代金」だの、最近どうも泣かされるものばかり読んで
いる気がしてならない。

円窓から見える木々が朽ちた後に、人々はどうやってそこに花があっ
たことを知るのだろうか、と「如才」を語るところから光圀伝は始まる。
如才とは・・・。

兄が存在するのに世子となった光圀が、自分の子と兄の子を取り替
えてでも兄の子(綱條)に水戸を継がせるという「義」を果たした後、
自分の小姓だった紋太夫をその綱條を支える大老まで出世させた
光圀だったが、時の将軍綱吉亡き後に綱條を立て、徳川から朝廷に
大政奉還をするのが自分の義だと言う紋太夫に「貴様はわしの希望
であった。大義なり、紋太夫」と殺す光圀がエピローグとなっている。

その殺し方は、過去宮本武蔵に倣ったものだった。そして円窓から
見える木々への思いは、紋太夫を自らの手で葬ったことへの心の
痛みに耐えながらのプロローグだった。

光圀は言う。「如才とは死者や神々が今そこに在すが如く振舞うこ
と。歴史を記すこともそれと同じである。史書が人に与えるものは
人の生である。連綿と続く、我々一人ひとりの、人生である。彼らは
歴史の一員になった。そして生きとし生けるもの全て皆歴史になる」

光圀は妻・泰姫の侍女だった左近の膝で、その死者の列に加わった。



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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:37│Comments(0)
 
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