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2014年01月16日

拘束と自由

火曜から今日までの3日間、甥の会社の手伝いでアルバイトをしてい
る。兄の後を継いで社長となった甥はPTAの会長もやっていて、まさ
に公私ともに立派に兄を引き継いでいる。

「光圀伝」で光圀は、誓うことと願うことの矛盾に生きつつ、だんだん
「託す」ことを意識していくのだった。それが達観なのだろう。

「誓うことと願うことは、多く、死を糊として表裏となる。そうした誓願
の表裏一体こそ、生者が真に命を得る瞬間でもあった」とは何と奥
深く、素晴らしい「伝承」を物語っているだろう。

山際淳司の「みんな山が大好きだった」の中に、「自由とは何かに向
かって邁進しようとするその時間の中にある」(エーリッヒ・フロム)を
引用し、「現状維持を旨とし動き出そうとしない人間は常に現実に拘
束されている」と書いてある。

昨日書いたように、日山協から離れると全国の知り合いとも会う機会
が減るのは当然のこと。そう思うと寂しくもあるのだが、残るのが山だ
けだというのはありがたい。しかし、一方で現状維持を認めてしまっ
て面倒なことから身を引き、自分に残るのが山だけだというのは「拘
束」されているのだろうか「自由」なのだろうか。

昨日も夢の中にアンナプルナを目指す自分がいた。なぜかK2に一緒
に行ったM君と知らない若者2人のパーティだった。他所の家の屋上
から雪道に飛び降りるところから登山道が始まっていて、おまけにそ
の家のおばさんに「何かあったら迷惑になるから」なんて山に向かう
のを叱られているのはまるで夢なのだが、そんな夢を見られる自分は
「自由」になるのだと思いたい。


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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:43│Comments(0)
 
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