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2014年06月25日

マッターホルン北壁

ワールドカップ、コロンビア戦。ずっと見ていたが残念ながら4-1で負
けてしまった。香川の悔しそうな顔が印象的だった。

海外で悔しい思いをしたのは1993年。当時2種指導員という日山協
の資格を取得したばかりの僕は、マッターホルン北壁を完登してみた
いというぼんやりとした夢を持っていた。

マッキンリーを終えてヨーロッパ3大北壁を目指す同人組織に加入した
僕は、その中心メンバーであるTのエネルギーに可能性を信じ、その遠
征を実行に移したのだった。Tは「山岳同志会」出身。泣く子も黙る「同
志会」は僕の憧れでもあり、小西政継氏は神様以上の存在だった。

その時の記録は僅かだが、こんなふうに書き始めたものが残っている。
「出発当日熱を出して見送りに行けない息子に『頼むぞ』と握手を求め
ると、小さい声で『ウン』と言いカーテンに顔を隠した。まるで別れを予
感しているようなその仕草にこみ上げるものがあった。大丈夫帰ってく
るよ。そんなお前をまだまだ孤独にはできない」

1993年6月10日にそんな見送りを受けて12日にチューリッヒに着い
た我々は13日、早速高所順化でブライトホルンに登った。そして15日
にマッターホルンに向け出発したものの、ロープウエーが動いていない。
我々はそんな程度の情報すら持っていなかった。

何の根拠もなくグランドジョラス北壁に転進することにした我々は17日
にレショ小屋へ移動。Tは緊張のあまり戻していた。翌日は0時半起床。
ルートの研究すらしていなかった我々は大雪壁を登り、適当な岩場に
取りついたものの3ピッチで行き詰まってしまう。13時、断念し下降を
開始した。Tはそのまま帰り、僕はレショ小屋にもう1泊した。


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Posted by ラテルネ瀧根 at 07:42│Comments(0)
 
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