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2014年07月05日

部分と全体

昨日、きれいな姿勢やきれいな足運びが登山にとって大事なものだ
ということ、そして自分の弱点を修正できない人は意識がない人か自
分を見られない人だと書いた。

ある時、こんなことがあった。直さなきゃいけない癖について僕が何
回かアドバイスした事があったのだが、それと同じことを誰かに言わ
れ、すごくいい事を聞いたような口ぶりで僕にそれを報告する人がい
た。僕は「だから同じことを言ったでしょ」としか言いようがない。

その人は、アドバイスに基づいてやってみても問題点が分からないと
いう。姿見を横にしてもいいし、ショーウインドウでも見られることだっ
た。どこまでやったかは分からないが、本当にやったとすれば自分を
見られなかったということだ。これはちょっと難しい。

やりさえすれば見えること。その修正については自分で考えることだ。
しかし見えないことについては直しようもない。見えないというのは何
なのだろう。

その人の登山に対する傾向として本人も自認するのが道に迷いやす
いというもの。実際登山道がついていても迷うことがある。きっとそん
なふうにして、全体を見て判断することに慣れていないのではないか。
そんなことから部分を見て全体が見えないのではないかと思った。

いつも鏡で見るのは部分。そう考えてみると、動く自分を見るってなか
なか難しいのかもしれない。何せ自分を変えようとしなければ見る必
要もないものだ。ちょっとした癖を修正することが、とても大きなことに
思えてきた。もしかしたら、初めて見る自分に出会うかもしれない。そ
して生きていく視野まで変えることに繋がるのかもしれない。



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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:16│Comments(0)
 
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