ウエブはこちらへ! http://laterne.web.fc2.com/

2015年03月08日

無償の愛

昨日書いたクレーマー。「家まで迎えに来て」なんていうとんでもない
ものもあるらしいが、中には我が子可愛さの「親心」からつい求めす
ぎてしまうものもあるのだろう。

普通の授業に加えて“子どもたちとのズレ”との格闘、クレーム対応。
先生も大変だなぁ。毎日毎日、きっと「無難」であることが先生たちの
切実な願いなのだと思う。

たまたま最近読んだ「栄光の岩壁」も「世界から猫が消えたなら」も
我が子への母親の細やかな愛情を描いている本で、主人公たちは、
それぞれ命に関わる時にその愛をしみじみ想うのだった。

昨日も再び「世界から猫・・・」を読み返してみた。「母親は死ぬまで
にしたい10のこと」を考えて、結局全部あなたのためにしたいことば
かりだった、との手紙を当時の息子の彼女に託していた。そして我
が子が将来本当に苦しい時にそれを見て前を向けるように、と主人
公の良いところを10個書き出してそれに代えていた。

父兄のクレーマーというのがある意味子どもに「盲目的」な結果なの
だとしたら、そんな細やかな愛情というものとは一体どう違うのだろ
う。親の子を想う気持ちに変わりはないのだろうが、子が死に直面し
たとき、その「盲目の愛」を注いでくれた親に、果たしてその愛を想う
ものかどうか。僕はちょっと違うような気がする。

沈黙の愛、かたや主張の愛。「無償の愛」と似て非なる「盲目の愛」。
「無償の愛」には言いたいことをぐっと飲み込む思慮があるのだろう
と何となく思った。

「親思う心にまさる親心」、先週の「マッサン」のテーマである。


スポンサーリンク

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:41│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。