ウエブはこちらへ! http://laterne.web.fc2.com/

2015年03月11日

3.11から4年

この前のサンデーモーニングで宮城県女川町の復興について取り
上げていた。簡単に言えば巨大防波堤を作るのでなく、居住地のか
さ上げという選択。

海沿いはjこれまで通り漁協などの建物が作られている。それは「防
災」という設計ではなく、「減災」という観点からのものだった。例え
ば津波が押し寄せた時、1階部分は水が通り抜けていくように設計
されていて、2階は保冷庫、3階は避難場所となっているようだ。

復興のトップランナーと言われる女川町。その特徴は、何といって
も「還暦以上の人は口を出すな」という若者たちの活躍。年寄りは
若者たちのアイデアを支え、周囲の調整などを知恵や人脈を駆使
し縁の下の力持ちに徹する。そんな大きな年寄りたちの存在が、
新しい町づくりを支えている。

それにしても災害公営住宅の建設は岩手で18%、宮城で17%に
とどまっているという。未だ避難生活を強いられている23万人。汚
染土などは放置されたままで、それを包む袋自体が破れていたり
もしている。僕には何も進んでいないように思えて仕方ない。

それどころかまたもや東電の汚染水流出隠し。その直後には福島
第1原発2号機の原子炉建屋の屋上に高い濃度の汚染水がたま
っていたことを慌てて発表した。

誰かが「完全にコントロール下にある」というその実態は、凍土遮
水壁もうまく行かぬまま「完全に放置下にある」。「友だち作戦」の
兵士たちからさえも訴えられる事態となっていて、目立つのは再稼
働の動きだけ。これが4年目を迎えた被災地の現実ではないか。

スポンサーリンク

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:10│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。