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2015年03月18日

「寛容」って

「私はあなたの意見には反対だ。しかし、それをあなたが言う権利
は死んでも守ろう」ってのは何回か聞いたことがある。

それを言ったとされるヴォルテール。昨日のドラ・トーザンさんによ
ると、そのヴォルテールが書いた「寛容論」を、フランスのデモに参
加した多くの人が持っていたという。

そうだとするとフランス人ってすごいと思ってしまう。日本人にして
みれば何に抗議し、どんな本を持ってデモをするのだろう。いや、
300万ものデモなんて日本ではそもそもあり得ない。

「寛容」・・・、これは近世ヨーロッパ社会において産み出された概念
らしい。ウィキペディアによると「16世紀の宗教改革の結果として、
カトリック普遍主義が崩壊すると共に多くの同時代人が宗教的な寛
容を重要な課題、争点として認識するようになった」とある。

寛容はもともと信仰の弱さの表現として否定的に考えられていたが、
カトリックとプロテスタントの平和共存が実現されるようになるに従い
「必要悪」として肯定されるようになったものだという。つまり相手を
積極的に尊重するのではなく、やむを得ず容認する行為であり、多
少とも見下ろした態度で隣人を仕方なく「許容」することだった。

信仰の弱さとして捉えられていた?何だか、今まで思っていたこと
と随分意味が違うなぁ。人として成長すればするほど寛容になるも
のと思っていたのは何だったのか。日本語としてのそれは、多分そ
んな意味合いが濃いのではないだろうか。まぁ宗教人と、多神教の
もとで気ままな生き方をしてきた僕とではそもそも違う。それにして
も、時代や民族が違うと、言葉の意味までこうも違うものか。


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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:13│Comments(0)
 
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