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2012年02月24日

孤立死

一昨日、知人宅のお通夜でこんな法話があった。
「倒木更新という言葉がある。樹は倒れる事で若芽を育てる光を注ぎ、
やがて若芽そのものの土壌ともなる。
〇〇さんは天国へ行かれたという見方もあるだろうが、
もっと近くで支えて下さっているのではないか」

残された者は死者に支えてもらっている。
悲しむばかりでなく、前を向いて進まねばならないとの話だった。

人は樹ではないから、倒れる前に道を譲り育てるべきとは思うが
確かに安らぎを与えてくれる法話ではあった。

池上彰さんは、人はなぜ宗教を求めるのかについて
「心の安寧を求めているからだ」と書いている。
どんな宗教もそんなふうにして
人々に安寧を与えてくれるものなのだろう。

去年の震災以降「絆」という言葉が大流行しているが
そんな中、「孤立死」が続いている。

足元の「絆」が乏しい社会の現実を見る思いだ。
いやだからこそ流行るのかもしれない。

飽食の時代にやせ細って餓死するという矛盾。
その人達に安寧はあっただろうか。
「生活保護を紹介しないのか」との記者の問いに
「自分で決める事だ」と開き直った福祉行政担当が情けない。

仏教は、もともと生は苦であり思い通りにならないもの。
だから最終的には執着を無くする地平を目指すものだと言うが
「生」すら叶わない現実がそこにある。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:47│Comments(0)雑感
 
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