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2012年06月13日

「若者論」

インフラや生活環境といった面のおいては
過去最強の「豊かさ」の中で暮らす若者に、
小さな幸せを大切にする価値観が広まっていて、
それは成熟した社会にふさわしい生き方だと古市さんは言う。

そして「幸せ」の基盤自体が腐り始めている「いびつな」社会構造の中で、
「幸せ」を感じる「奇妙な」安定が生まれているのだという。
その含意は何なのだろう。

第一章「若者」の誕生と終焉では、
いつの世も繰り返される「若者論」や「若者語り」について書いている。

若者バッシングは「若者」を自分とは違う「異質な他者」と断じ、
片や「都合のいい協力者」として見る層は
大日本帝国のために命まで犠牲にして戦ってくれる
貴重な「資源」という捉え方であったりする、
と戦前の「若者論」を分析している。

1950年代の「ティーン論」、1970年代の「カプセル人間論」、
1980年代「新人類論」「オタク論」、1990年代からの「〇〇系」への変化。

こんなふうに「若者論」が終わらないのは
若者ではなくなった中高齢者にとっての自己肯定であり
自分探しなのだと言っている。

そうか、僕は自己肯定と自分探しで若者に興味を持っているのか。
いやどうも違うような気がする。
古市さん、そんなに断裂を決めつけないで欲しいな。

あ、そうじゃなくて「論」と「興味」の違いにそもそも溝があるのか。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 06:50│Comments(0)雑感
 
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