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2013年01月18日
理論と実践
去年僕の講習を受けてくれた若者が、婚約した連絡とともに
「冬山に行くのは『理論と実践』という男の性だと納得した」
そんなメールをくれた。
生きるという事は経験するという事でもある。
厳しい自然の中では、積極的に生きようと思わない限り前へ進めない。
普通の社会の中でそんな経験に晒される事は滅多に無いだろうが、
登山、特に冬山にはそれが問われる。
普通の人にはそんなところへ行く事が理解できないもの。
しかし山屋は、その中に「風を遮る暖かさ」だとか
「横になれる喜び」だとか「食べるものがある幸せ」を知っている。
まるでこの世に怯え、不安におののいている赤子のように、
確かな自信が持てない人間が、厳しさの「その中」「その時」に
自由と安息を求めているようだ。
そして「その時」を胸に刻み、蓄積していけるかどうかは
心を揺さぶられる「何か」との対峙の有り様に掛かっている。
その「何か」というものは、
実はそんな自分自身の心なのかもしれない。
積極的に生きなくてはならないところに自分を晒すという
己のその姿勢に、生きている実感を見つける事ができ
登山のマネジメント(理論)に胸膨らませ
それを実践する、つまり経験するという心からの喜びがある。
生まれてきた事に対する感謝もそこにある。
そして自分を誉めてやれる唯一の時間なのだと思う。
「冬山に行くのは『理論と実践』という男の性だと納得した」
そんなメールをくれた。
生きるという事は経験するという事でもある。
厳しい自然の中では、積極的に生きようと思わない限り前へ進めない。
普通の社会の中でそんな経験に晒される事は滅多に無いだろうが、
登山、特に冬山にはそれが問われる。
普通の人にはそんなところへ行く事が理解できないもの。
しかし山屋は、その中に「風を遮る暖かさ」だとか
「横になれる喜び」だとか「食べるものがある幸せ」を知っている。
まるでこの世に怯え、不安におののいている赤子のように、
確かな自信が持てない人間が、厳しさの「その中」「その時」に
自由と安息を求めているようだ。
そして「その時」を胸に刻み、蓄積していけるかどうかは
心を揺さぶられる「何か」との対峙の有り様に掛かっている。
その「何か」というものは、
実はそんな自分自身の心なのかもしれない。
積極的に生きなくてはならないところに自分を晒すという
己のその姿勢に、生きている実感を見つける事ができ
登山のマネジメント(理論)に胸膨らませ
それを実践する、つまり経験するという心からの喜びがある。
生まれてきた事に対する感謝もそこにある。
そして自分を誉めてやれる唯一の時間なのだと思う。
Posted by ラテルネ瀧根 at 07:22│Comments(0)
│雑感