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2013年02月04日
絵本
「かけら」でも角が取れたら丸くなって転がっていける、
そして「足らないもの」とくっつかなくとも小さい「球形」として
転がって行ける、という「ビッグオーとの出会い」の展開は、
「夢」や「想い」が実現できなくとも生きて行ける、あるいはまた
不完全なまま生きる「人」そのものを現しているようでもあり、
考えさせられた。
「かけら」と「足らないもの」を「男と女の例え」と捉えた場合の
「一緒にならなくても・・・」というものではなく、
「人は皆足らない存在、だからそのままでもいいんだよ」
というメッセージ、あるいは人そのものが小さい様を客観視し、
「人はこのように足らない存在だから手を繋げないのだ」
そんな主張があるのかもしれない。
教科書のような「模範解答」ではなく、子供が感じ創る世界のように
芸術にはそれぞれの受け止め方ががある。
どこの子供もそうであるように息子の長男・現太も絵本が大好き。
先日送ってもらったばかりの動画を思い出した。
そこには絵本を読む「現太の世界」が創られていて、
ママに読んであげる彼は、その世界にどっぷり浸かっていた。
きっとママも父ちゃんも、いっぱい読んであげたのだろう。
現太はあと10日で4歳になる。大好きな妹の琴子ちゃんにも
たくさん読んで聞かせているのだろう。
もちろん僕も、聞かせてもらうのを楽しみにしている。
そのとき、どんな世界が拡がるのだろう。
そして「足らないもの」とくっつかなくとも小さい「球形」として
転がって行ける、という「ビッグオーとの出会い」の展開は、
「夢」や「想い」が実現できなくとも生きて行ける、あるいはまた
不完全なまま生きる「人」そのものを現しているようでもあり、
考えさせられた。
「かけら」と「足らないもの」を「男と女の例え」と捉えた場合の
「一緒にならなくても・・・」というものではなく、
「人は皆足らない存在、だからそのままでもいいんだよ」
というメッセージ、あるいは人そのものが小さい様を客観視し、
「人はこのように足らない存在だから手を繋げないのだ」
そんな主張があるのかもしれない。
教科書のような「模範解答」ではなく、子供が感じ創る世界のように
芸術にはそれぞれの受け止め方ががある。
どこの子供もそうであるように息子の長男・現太も絵本が大好き。
先日送ってもらったばかりの動画を思い出した。
そこには絵本を読む「現太の世界」が創られていて、
ママに読んであげる彼は、その世界にどっぷり浸かっていた。
きっとママも父ちゃんも、いっぱい読んであげたのだろう。
現太はあと10日で4歳になる。大好きな妹の琴子ちゃんにも
たくさん読んで聞かせているのだろう。
もちろん僕も、聞かせてもらうのを楽しみにしている。
そのとき、どんな世界が拡がるのだろう。
Posted by ラテルネ瀧根 at 07:32│Comments(0)
│雑感