ウエブはこちらへ! http://laterne.web.fc2.com/

2013年03月21日

想像

この前、ちひろの「膝を立てた少年」に孫の現太を想った。
「少年少女の普遍的な何かを描けているんだろうね」と息子は言う。
ちひろが優しい気持ちで我が子を見、描いたのは間違いない。

作家は何を考えながら制作するものだろう、と思った。
「被災地に行ったことのない自分が被災地の人たちを想像し、
その人達が何を想像するかを想像するってことは、
ごくごく普通のことだと思うよ」という息子の作品を見て、
「〇〇を想像して欲しい」という期待はあるのかと聞いてみた。

そうしたところ、即座に全く無いよと答えた。
作品を「作家のメッセージや気持ちを表現したもの」とは考えていなくて、
作品に「テーマ」とかはあってもいいけど、それは作品のごくごく
僅かな一部で大したものではないと彼は言う。

クライミングに触れて、ホールドを見ただけで
身体の動きを組み立てられるとしたら、ホールドはその時、
様々な身体の動きを「想起」させるものとして機能している。

同じように例えば息子の好きな野球、特にノックを受けるとき
動きの主体は「自分」にでなく、「転がってくるボールのリズム」にある。
ボールのリズムが無ければ身体の動きは導かれないと言う。

とするなら、作家には技法、線、色などが何かを「想起」させるものとして
機能していて、そのリズムに導かれて描くようなものなのだろうか。

雪稜にトレースをつけるのを振り返る時、「何と芸術的か」と思う。
その時、そこにいなければできない感動。それは二度と無いもの。
創る側の感動は同じものなのだろうかと彼の想いを想像した。


スポンサーリンク
同じカテゴリー(雑感)の記事画像
楽しい登山を
「発想の貧困」
胸を張って
W杯をめぐって
「変」つながりで
「ご馳走様」
同じカテゴリー(雑感)の記事
 楽しい登山を (2013-07-02 06:08)
 「発想の貧困」 (2013-06-29 04:08)
 胸を張って (2013-06-28 05:46)
 W杯をめぐって (2013-06-27 05:34)
 「変」つながりで (2013-06-26 06:01)
 「ご馳走様」 (2013-06-24 05:41)

Posted by ラテルネ瀧根 at 06:21│Comments(0)雑感
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。