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2011年06月17日
アンナプルナへの挑戦 ~登山という行為~
課題を見つけ実践する、それはまさに人が前向きに生きる姿。
登山という行為はまさにそれそのものであり、
であるからこそ素晴らしいものなのだと思います。
登山は従って「どれだけ課題を持ってどれだけ登ったか」
を一つのメルクマールだとするなら、
それは生き方のバロメーターでもあるのでしょう。
遠征本番では、登る事に付随して多くの試練が待っています。
行動は苦しく、睡眠は浅い。
美味いものを腹いっぱい食べられるはずもなく、
閉塞状況や危険というストレスの中で顔を合わせていると、
些細な事で腹がたったり不快になります。
それを乗り越えられるかどうかは、
夫々がメンバーズシップやチームワーク作りに
どう取り組むのかという一点に掛かっていると思いますし
課題をしっかり持って登りに来たという
登山の、その理想的な現実こそが創りうる寛容な心も問われます。
そんなふうに人間そのものが問われ続ける事は
一般社会ではあまり無いですよね。
そんな登山の実践こそ、その只中で自分を向上させ、
一生懸命に生きる事だと思うのです。
オスカール・エーリヒ・マイエルという登山家は
「われわれがこの(果てしなく大きな)世界と
羞かしげなく比較できるただひとつのもの
―それは行為である―」と述べています。
写真はC1から見るダッチリブ(中央の急峻な尾根)
登山という行為はまさにそれそのものであり、
であるからこそ素晴らしいものなのだと思います。
登山は従って「どれだけ課題を持ってどれだけ登ったか」
を一つのメルクマールだとするなら、
それは生き方のバロメーターでもあるのでしょう。
遠征本番では、登る事に付随して多くの試練が待っています。
行動は苦しく、睡眠は浅い。
美味いものを腹いっぱい食べられるはずもなく、
閉塞状況や危険というストレスの中で顔を合わせていると、
些細な事で腹がたったり不快になります。
それを乗り越えられるかどうかは、
夫々がメンバーズシップやチームワーク作りに
どう取り組むのかという一点に掛かっていると思いますし
課題をしっかり持って登りに来たという
登山の、その理想的な現実こそが創りうる寛容な心も問われます。
そんなふうに人間そのものが問われ続ける事は
一般社会ではあまり無いですよね。
そんな登山の実践こそ、その只中で自分を向上させ、
一生懸命に生きる事だと思うのです。
オスカール・エーリヒ・マイエルという登山家は
「われわれがこの(果てしなく大きな)世界と
羞かしげなく比較できるただひとつのもの
―それは行為である―」と述べています。
写真はC1から見るダッチリブ(中央の急峻な尾根)
Posted by ラテルネ瀧根 at 06:44│Comments(0)
│ヒマラヤ