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2013年05月31日

アンナあとがき その後

話は少し戻るが、5~6日前までしばらく続けていたヒマラヤの話。
講演依頼を受けた時、スライド写真を電子データ化してもらった
こともあって、話の内容とダブらせて昔の遠征を紹介させていただいた。

写真を見ながら記録を振り返り、話の内容を考える作業はとても楽しく
ブログ記事もそれに連動しているから、あっという間の時間だった。

2000年のアンナプルナを、今は「喧嘩しようが何しようが生きて
帰ってこられたからそれでいいじゃないか」と思うことができる。
ブログを書きながら、時間が経つと思いも変化することに気づかされた。
そんな変化も僕が生きている証拠であり、必然なのだろう。

そのアンナプルナが終ってから、僕とSは密かにリベンジを計った。
まるで秘密結社の集会のように、名城公園西の(というのが暗い)
居酒屋に集まって、夏冬問わず何度夢を語り合ったことだろう。

彼はトヨタのトップセールス、奥さんと中学小学の息子・娘と暮らしていた。
2004年にその夢の実現を計画。しかし僕の娘の進学が重なって
隊長を彼に託し、参加しないことを決めたのは2003年の秋だったと思う。

「その代わりにもっとすごい人間を連れてくるから」と、約束したのが
当時、日本のヒマラヤニストの頂点にいた群馬の名塚だった。
そうして見送った2004年アンナプルナ遠征は、そのSと名塚を
雪崩で失うことになってしまった。残された千種の西村と春日井のYは
初遠征で隊長と登攀隊長を、それも目前で失う悲劇に見舞われたのだった。

〈アイスフォール横に作られたレリーフ〉
アンナあとがき その後

〈並んでアンナを見上げる名塚のレリーフ〉
アンナあとがき その後

そのYも、後のダウラギリ遠征で隊長田辺とともに逝ってしまった。
残った西村とは2011年、再度アンナプルナに行ったものの敗退。
彼は現在、千種アルパインクラブ5代目の代表を務めている。

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Posted by ラテルネ瀧根 at 05:46│Comments(0)ヒマラヤ
 
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