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2011年07月06日

パキスタン 広島三郎さん

「地球の歩き方」(パキスタン)を執筆されていた広島さんと
初めてお会いしたのは
八王子で開かれた海外登山研究会じゃなかったかと思う。
冬の富士山ではどこにテントを張るか、なんて話になり
同じ結論だったのが嬉しかった記憶がある。

次にお会いしたのが1997年、K2のBCであった。
スキムブルグ登山の途中、
かなり離れた我々のBCを、わざわざ訪ねて下さったのだった。
真っ黒に焼けてみえて、一緒に撮った写真は帽子の影にもなっていて
よく分からない。

そのK2登山中、隣のブロードピークで雪崩事故があった。
応援を頼まれ、ブロードピークBCから双眼鏡で捜索ポイントを指示し
やがて2人の遺体を発見・回収した。

それから本隊に戻って登山を続行し、
我々の隊は、幸いにも1人の犠牲者も出さずに成功した。

バックキャラバンの途中、広島さんのBCに立ち寄り
ご馳走していただいた。
そこは広い氷河の真ん中で、まさかそこに雪崩が押し寄せる事になろうとは
思いも寄らなかった。

イスラマバードから帰国する寸前だったろうか、
広島さん達が登頂祝いの宴をしたその夜中に
スキムブルグからの爆風雪崩でそのBCが壊滅、広島さんを含め
確か7人が亡くなったのだった。

遠征途中、同じパキスタンのレディスフィンガーというところで
松岡清司君も亡くなってしまった。
初登頂したウルタル2峰から壮絶な帰還を果たしたが
仲間の山崎彰人君を失い、単独で挑戦している最中であった。

我々9人の登山期間中、同じパキスタンで
それも日本隊だけで10人が亡くなった。

広島さんと言えば、人懐っこい黒い顔と富士山を思い出す。


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Posted by ラテルネ瀧根 at 07:07│Comments(0)ヒマラヤ
 
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