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2011年10月09日

遠征を終えて  足跡

そんなふうに終わったEXP、少し足跡を振り返ってみたいと思います。
【8月】
 21日 カトマンドゥ着
 22日 準備活動開始
 24日 観光局でブリーフィング、局長が大臣に呼ばれたとかで翌日になる。
  これは登山許可をもらう儀式で、リエゾンという政府の監視役とも初めて
  対面する。このリエゾン、その担当になるだけで登山隊から装備代として
  25万円(ネパール平均年収の3年半分)が懐に入る美味しい職。
  政治体制が変わる度に観光局は利権を巡って奪い合いになるとか。
  現実的にはリエゾンは登山隊に同行しない場合が多い。
 28日 カトマンドゥを大型バスで出発、ベニ泊。
  乾季だとレテまでバスで行ける事が多いが、
  モンスーンで道路が寸断されていて、全て歩きとなった。
 29日 キャラバン開始、タトパニ泊
  温泉で世界一周旅行中の日本人のご夫婦と出会う。
 30日 ガーサ泊
 31日 レテ泊
【9月】
 1日 3250mの峠を切り開いてキャンプ
 2日 4300mの峠を越えて4200mのニルギリBCでキャンプ
 3日 3400mの谷底でキャンプ
 4日 BC(4000m)着。予定の4200m地点は崩れていて200m下部に設営。
 5日 プジャー(安全祈願祭)
 6日 隊荷の整理(荷上げ準備)西野4200mまで散歩
 7日 登山活動開始ABCへ。BCにいた西野が意識障害。ヘリを依頼。

これ以降についてはブログでご紹介した通りですが、
日本で富士山に5回も通ってトレーニング(山頂3回泊含む)し、
9/2の行動のように4300mを経て4200mで宿泊経験を持つ西野が何故、
それもBC到着後3日目にして発症したか、という事が重要です。

要は日帰りのような短時間の滞在と、そこで生活するという事とは
全然違うという事。
動いて酸素を取り入れる、水分を摂り血液の流れを良くするといった
順化活動が当たり前にできなかったのが今回の直接的な原因。
日本において、おしっこがしたくなるから水分を我慢する
そんな登山をされている方は絶対高所へは行けないという事です。

日常を高所に持ち込むな、言い換えれば日常を変えられない人は
高所へ行けない、という事なのでしょう。


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Posted by ラテルネ瀧根 at 07:15│Comments(0)ヒマラヤ
 
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