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2013年04月23日
K2 ①チームワーク
山岳会のMさんに数百枚のスライド写真をデータ化してもらった。
スライドの繊細さは素晴らしいが、面倒でなかなか見る機会もない。
電子データだといつでも見られるのがとても便利だ。
もらったデータを見ていて、懐かしい思いが去来した。
憧れのK2、足を引きずりながら登頂した熱い自分。
この遠征中、パキスタンへ行った18人の内9人、何と半数が
帰らぬ人となった。ヒマラヤ登山というものの、何たる無情。
僕の古い記録をもとに、ヒマラヤの感動・危険・喜びを紹介したい。
1997年7月19日、無線機に飛び込んできた1次隊登頂の報に、
我々2次隊4名は涙にむせた。心から嬉しかった。
正直言って、自分達の登頂でもないのにあれだけ感激する
自分と仲間にびっくりした。その、真に仲間を祝福する純粋な涙にこそ
我が隊のチームワークが象徴されている。
思えば自分がこのEXPに参加するにあたって考えた事は、
チームワークづくりのために自分には何ができるのか、であった。
10歳以上離れた隊員ばかりである。まずは僕自身の寛容が問われる。
「優秀なクライマー達とK2に挑む事ができる光栄」を常に忘れず、
それを原点に田辺隊長とのパイプ役になろう、そう思っていた。
でも仲間は皆大人だった。ストレスが爆発するような事もなく、
たまに出るのは愚痴の範疇で、それも笑い飛ばして処理してしまう、
そんな事で済んでいた。
パイプ役として隊長には若干怒られもしたが、これといった苦労もなく
むしろ若い人達の寛容で付き合わせていただいている自分であった。
JAC東海K2EXP97の性格を一言で表現すれば「大人の隊」だったと僕は思う。
スライドの繊細さは素晴らしいが、面倒でなかなか見る機会もない。
電子データだといつでも見られるのがとても便利だ。
もらったデータを見ていて、懐かしい思いが去来した。
憧れのK2、足を引きずりながら登頂した熱い自分。
この遠征中、パキスタンへ行った18人の内9人、何と半数が
帰らぬ人となった。ヒマラヤ登山というものの、何たる無情。
僕の古い記録をもとに、ヒマラヤの感動・危険・喜びを紹介したい。
1997年7月19日、無線機に飛び込んできた1次隊登頂の報に、
我々2次隊4名は涙にむせた。心から嬉しかった。
正直言って、自分達の登頂でもないのにあれだけ感激する
自分と仲間にびっくりした。その、真に仲間を祝福する純粋な涙にこそ
我が隊のチームワークが象徴されている。
思えば自分がこのEXPに参加するにあたって考えた事は、
チームワークづくりのために自分には何ができるのか、であった。
10歳以上離れた隊員ばかりである。まずは僕自身の寛容が問われる。
「優秀なクライマー達とK2に挑む事ができる光栄」を常に忘れず、
それを原点に田辺隊長とのパイプ役になろう、そう思っていた。
でも仲間は皆大人だった。ストレスが爆発するような事もなく、
たまに出るのは愚痴の範疇で、それも笑い飛ばして処理してしまう、
そんな事で済んでいた。
パイプ役として隊長には若干怒られもしたが、これといった苦労もなく
むしろ若い人達の寛容で付き合わせていただいている自分であった。
JAC東海K2EXP97の性格を一言で表現すれば「大人の隊」だったと僕は思う。
〈ABC・5500mからのK2〉
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Posted by ラテルネ瀧根 at 05:59│Comments(0)
│ヒマラヤ