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2013年04月26日
K2 ④復活・いちるの望み
「夢は見るものでなく、持つものだ」そんな気持ちで迎えた1996年、
K2に向けてトレーニングも順調に進んだ。
しかし翌97年の幕開けは一転して絶望的なものであった。
先に書いたアイスクライミング中のグランドフォール、それによる
足首の開放性複雑骨折である。
絶望の淵に沈んでいた僕は、土下座をして謝ろうと思っていた徳島さんに
「せっかく今まで一緒にやってきたんだ、一緒に行こうよ」と言っていただき、
ようやく立ち直る事ができた。
戦力が落ちた自分にそんな声を掛けて下さった先生の寛容抜きに
今の自分はあり得ない。
僕は先生にかけがえのない友情をいただいたと思っているし、
それにどう応えるのか、自らに問い続けなければならない。
なぜなら徳島さんはけっしてもうそれを教えてくれないからだ。
4月21日、事故後の初山行を富士に選んだ僕は、6合目まですら
登れぬ自分に愕然とした。精神的に立ち直ったとはいえ肉体は正直で
足首に入ったボルトがプラブーツに当たり、一歩も登れなくなったのだ。
26日はK2遠征メンバーの富士合同トレーニングと決まっていた。
その時登れなかったらK2は断念しよう、そう思っていた僕は
名古屋へ帰るなり親分曽我さんの店に直行し、
腫れた時血行を阻害しないよう、数サイズ大きいブーツを依頼。
更にボルトが当たらないようブーツの改造を頼んだ。
お陰で26日は何とかピークにたどり着く事ができた。
但し皆からかなり遅れて、の話である。
K2に向けてトレーニングも順調に進んだ。
しかし翌97年の幕開けは一転して絶望的なものであった。
先に書いたアイスクライミング中のグランドフォール、それによる
足首の開放性複雑骨折である。
絶望の淵に沈んでいた僕は、土下座をして謝ろうと思っていた徳島さんに
「せっかく今まで一緒にやってきたんだ、一緒に行こうよ」と言っていただき、
ようやく立ち直る事ができた。
戦力が落ちた自分にそんな声を掛けて下さった先生の寛容抜きに
今の自分はあり得ない。
僕は先生にかけがえのない友情をいただいたと思っているし、
それにどう応えるのか、自らに問い続けなければならない。
なぜなら徳島さんはけっしてもうそれを教えてくれないからだ。
4月21日、事故後の初山行を富士に選んだ僕は、6合目まですら
登れぬ自分に愕然とした。精神的に立ち直ったとはいえ肉体は正直で
足首に入ったボルトがプラブーツに当たり、一歩も登れなくなったのだ。
26日はK2遠征メンバーの富士合同トレーニングと決まっていた。
その時登れなかったらK2は断念しよう、そう思っていた僕は
名古屋へ帰るなり親分曽我さんの店に直行し、
腫れた時血行を阻害しないよう、数サイズ大きいブーツを依頼。
更にボルトが当たらないようブーツの改造を頼んだ。
お陰で26日は何とかピークにたどり着く事ができた。
但し皆からかなり遅れて、の話である。
〈不釣合いな大きなブーツで〉
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Posted by ラテルネ瀧根 at 05:51│Comments(0)
│ヒマラヤ